椋毘登(くらひと)は馬を走らせている道中、これまでのことを思い返していた。

(俺は今まで、自分の一族のことを何よりも優先して生きてきた。
それなのにあいつを、稚沙(ちさ)を失ってしまうかもしれないと思った瞬間、何も考えられなくなってしまった……)

どうして彼女に、そこまで惹かれてしまうのだろうか。
特に何か特別な魅力のある娘にも思えないのに。


彼はふと稚沙の里帰りの時に、彼女の実家の側で自身が熱を出した時のことを思いかえす。

(あの時、熱でふらふらだった俺を、稚沙は懸命に看病してくれた。それが内心では本当に嬉しかったんだ……)

そして翌日になり、彼女から厩戸皇子(うまやどのみこ)を諦めると聞かされた時、彼の心は妙にざわついた。

そして彼女に対する感情が一気に湧いてきたのだ。

それまでは厩戸皇子のことがあったので、本人も自覚がないまま、彼は自身の感情を無理に押さえ込んでいたようだ。

(今なら彼女を手に入れられる……)

だがいきなり自分の気持ちを話して、彼女に離れられたくもなかった。
だから彼女の反応を見たくて、冗談っぽくして、嫁にしたいといったのだ。

「まぁ、予想通りの反応だったけどな」

その時の彼女は、彼が思うに完全に思考が止まってしまい、ひどく動揺しているふうに見えた。

こうして初めて彼女への想いを自覚した訳だが、それでも椋毘登は蘇我の方が大事だと思った。

そのために彼は、今日までずっとそのことで葛藤していたのだ。

(でも、まさかあいつが自分の前からいなくなってしまうなんて、そんなこと思いもしなかったんだ!)


彼がそんなことを考えて、ひどく後悔している時である。
彼の前を走っていた厩戸皇子が、急に声をかけてきた。

「椋毘登、もうすぐ目的の場所につく。ついたら俺が宮の者に話をして、皇女達の元に向かう。
その際に例の男達も潜んでいるかもしれないから、俺達も用心した方が良いだろう」

(もちろん、その覚悟は出来ている。たとえ相手があの躬市日(みしび)でも……)

「はい、厩戸皇子。いざとなれば俺も刀を振るつもりです。そもそも躬市日は俺が始末するといいましたから」

「あぁ、そうだったな。君の刀の腕なら、問題はないだろう」

厩戸皇子もどうやら椋毘登の実力を、見抜いているようだ。

「厩戸皇子、そういう訳なので先を急ぎましょう」


こうして2人は、いよいよ目的の場所までたどりつくこととなった。