意気消沈していたらゆうとが口を開く。
「……このリンゴどうする?食べたらお前の記憶から一生消えなくなるけどそれでも食うのか?」
一瞬ためらった。
だけど南ちゃんを諦められる様に、新しい推しを見つけないといけないってのもあるから……。
「食べるよ。リンゴ丸々」
僕は黙ってそのリンゴを食べた。
食べた瞬間目の前が歪み、ハッとした時には南ちゃんがいたライブ会場まで来ていた。
この現象は「スリープトリップ」という。
テレビリンゴを食べると果肉に含まれた記憶を刺激する成分が活性化して人間に夢を見させるという特殊な現象。
今こうしてみている南ちゃんは、テレビリンゴに含まれた記憶であって本物ではない。
だけど暑苦しいオタクたちの熱狂、独特の汗臭い匂いなどが再現されている。
目の前にいる可愛らしい南ちゃんはもう本物にしか見えない。
ステージもハートがあしらった飾りが沢山あって、ステージライトも完璧。
ーー小さい時よりも随分と改造されたんだな……。
昔のテレビリンゴは食べてもぼんやりとした映像を見せられてるだけって感じだったのに。
ステージで笑う南ちゃんを見て、感激する僕。
「南引退してもみんなの事忘れません。ここまで歩めた事、絶対に忘れません!!」
その言葉に歓喜して、「ありがとうっ!!」だったり「またいつかどこかで」と熱狂しているオタク達。
「僕も忘れないよー。今まで元気をくれてありがとうー!!南ちゃん!!」
そういった瞬間、画面が歪む。
ハッと目を開けると、ゆうとが心配そうに覗き込むでいるのが見えた。
テレビリンゴを食べて、夢を見るのは約1分。
そんなに長くは効かない。
だが食べた情報は頭の中に一生残る様になる。
「どうだった?サヨナラ言えた?」
「言えたよ。サヨナラ」
「そう。それは良かった。さーて、次は俺の番だな」
そういってリンゴをもう一つとるゆうと。
ーーでも、引退はして欲しくはなかったな……。
推しが居なくなるという気持ちを知ったのは人生で初めて知った。
❤︎
「さーて。早く切ろう」
テレビリンゴを取り出したゆうとは、早速包丁を取り出して切ろうとしていたんだけど……。
なんだかリンゴを取り出した瞬間からだったか、物凄い酸っぱい臭いが部屋を充満してる……。
「ねぇ、言い方悪いかもしれないけど……それ腐ってない?」
形も少し崩れてるし、明らかにヤバい臭いがするし、色も少し怪しい。
「やめといたほうがよくない?」
「何言ってるんだよ。冷蔵庫に長く置いておいたから少し形が崩れてるだけだろ?テレビリンゴってそんなに腐らないっていうのは常識だぞ?」
テレビリンゴは確かにリンゴの二倍ぐらいの消費期限を持っているのは事実だ。
だけどテレビリンゴの消費期限が二倍なだけで、永遠ということではない。
ゆうとは人の話を聞かないタイプだ。
テレビリンゴをもう切っていたのだ。
テレビリンゴを切った瞬間、包丁を引く時に「グチョ」という音が。
包丁の先から黒い糸の様なものが線を引いてる。
納豆の糸の黒バージョンと言えばいいか。
「うげ……なんじゃこりゃ……」
僕とゆうとが、リンゴの面を見た瞬間言葉が詰まった。


