八咫烏は別段、正体を隠すなんてことしていなかった。
ただ、あたしは、自分が嫌いで、あの場に“自分”という存在を持ち込みたくなかったから、仲間にだってどこの誰なのか伝えなかった。
あたし以外にも敢えて何も言わない人はいたし、詮索されることを嫌う人もいて、みんなそれを分かっていた。
だって、そこは”ワケアリの集まり”だったから。
みんな、”ワケアリの集まり”だってわかっていたから、詮索は暗黙の了解でご法度だった。
そう。あたしも、その”ワケアリ”の一人。
詮索を嫌う一人。
好奇な眼差しが嫌いだった。自己承認欲求が強いくせに、自分に自信がない。
期待されることを嫌がる癖に、期待されず、無関心でいられることを恐れる。
そんな面倒な人間だった。面倒な人間だって自分でもわかっていた。
だから、街で噂になるのを心のどこかで喜ぶ癖に、嫌がって。
キャップを被ったり、フードを被ったりして、素顔を晒さず、視線を他者へとむけるようコントロールしていた。
“ケイ”単体での噂になることを避けることを恐れた。
非難の的、批判の標的になるのが怖かったから。
ひとりは嫌。
ひとりにされるのは嫌だった。
ひとりぼっちになりたくなった。
知って欲しいけど、知られたくない。
なんて面倒臭いんだろうあたしは。ほんと嫌になる。
だから、八咫烏でいる時だけは、”ケイ”っていう自分じゃない人になれていたんだと思う。
でも、
“ケイ”があたしだと知ったら、誰も”あたし”を”あたし”として見てくれなくなるでしょう?
求められるのは、あたしじゃないと、また知ってしまったら、多分、あたしは…。
だから、“八咫烏のケイ”と普段の“あたし”を意識的に区別していた。
そして、ここにいるのは“八咫烏のケイ”としてのあたしだ。
つまりそれは、そういうこと。

