「そうか、店を閉めるのか」

「はい。本店のかぐら屋にしばらくお世話になる予定で。まだしばらく……数日のあいだはここに留まるつもりですが、もしいずみ屋にいなかったら、かぐら屋まで来てくだされば」

「かぐら屋……? あそこは確か、番付でも真っ先に名が挙がるような一流店だろう? 俺のような懐事情ではとても……」

 かぐら屋の名を聞いてわずかに息をのみ、手持ちの少なさを伝えるように、ポンポンと懐を叩きながら、中岡さんは肩をすくめる。

「かすみさんがかぐら屋の娘さんで……でも私は向こうでもただの居候ですし、そんなに身構えずに気軽に訪ねてきてくださって大丈夫ですから!」

 なにも値の張る料理をたらふく食べて行けと言っているわけではないと、しどろもどろに説明する。
 ただ、またいつでも会えるようにと行き先を告げておきたいだけだ。

「分かった。なるべくお前がいずみ屋にいるうちに……近々会いに来る。女将にもよろしく伝えておいてくれ」

 小さく口許を緩めて、中岡さんは微笑む。
 その柔らかく優しい表情は、写真の顔にそっくりだった。
 じわりと胸に込み上げるものを感じながら、私は包んだお菓子を中岡さんの手元にそっと差し出して頭を下げる。

「これ、さっきのお菓子です。よかったら召し上がってください」

「ああ、いろいろと世話になった。ありがとう……それでは、またな」

 ポンと私の頭に軽く掌を乗せると、中岡さんは木戸を開けて外の様子をうかがい、そのまま暗い路地へと飛び出して行った。


「お気をつけて……!」

 半身を外に乗り出して小声で別れを告げるその背中は、みるみる遠くなって闇の中へとまぎれて行く。


(無事に、お知り合いのもとへたどり着けますように)

 首からさげたお守りを、ぎゅっと強く握りしめる。
 吹き抜ける冷たい風に身を晒して、もうすっかり見えなくなった背中を、私はただただ祈るように見送った――。