私は片付け終わった食器を桶の水につけながら、口をへの字に曲げて小さく首を傾げる。

(……不思議だな)

 つい先日まで、この人達は間違いなくお金に困っていた。
 それこそ毎日のように、申し訳なさそうに頭を下げ、手を合わせながらツケを重ねていたはずだ。

 それが今は、折り目も綺麗な香りの良い着物をまとい、見慣れない立派な装飾の刀を傍に置いて上機嫌で談笑している。

 ――数日でこうも変われるものかな?

 まるで、一晩で長者に成り上がった、おとぎ話のおじいさんみたいな話じゃないか。

 ……なんて、私がこんなことを考えても仕方がないのは事実なんだけど。
『収入があった』と昨夜本人から告げられたのだから、何かしらの働きをした上で得た大事なお金なんだろう。
 いけないな、疑り深く人を詮索してしまっては。

 そう自分を納得させて一息つくと、お盆を持ったかすみさんにポンと肩を叩かれた。


「美湖ちゃん、今日はもうお店落ち着いたから、出掛けてきてもいいよ」

「あ……うん!」

「写場に行ってみるのよね? 気をつけて行ってらっしゃいね」

 かすみさんの言葉にうなずき返しながら、ぐるりと店内を見回す。
 どのお客さんもくつろいで会話に夢中になっているようで、店の中の空気は停滞したようにゆったりと流れている。
 もうあまり手伝えることはなさそうだ。

「じゃ、行ってくるね。写場に行ったあと釣りもしてくるから、帰りは昨日くらいになると思う!」

「うん。今日は釣れるといいね」

 優しく見送りをしてくれるかすみさんの背後から、浪士さんや常連の娘さん方からの釣果を期待する声援が上がる。
 それに応えるように、私は元気よく言葉を返した。

「今日こそ、大物釣って来ますねっ!」

 大きく手を振って、まぶしい日差しが照り付ける路地へと跳ねるように足をふみ出す。
 ふと軒先に視線を落とすと、折れた釣竿が転がっていた。

 ……先端は少し欠けたけど、使えなくはないかな。
 今日のところはこれで頑張ってみようと楽観的に気合いを注入し、竿と釣り桶をつかむ。
 今日も快晴。絶好の釣り日和だ!


「美湖ちゃん、今日も釣り行くん?」

 まずは写場だ! と駆け出そうする私を背後からひき止める声が上がった。

「あ、谷口屋のおかみさん!」

 お隣の蕎麦屋のおかみさんだ。
 手際よく箒を動かしながら、こちらに笑みを向けてくれる。

「いずみ屋さんはお昼、大変やねぇ。お客さん次から次へと」

「谷口屋さんも、お昼どきすごく賑わってるじゃないですか! おいしいって評判だから!」

「うちはまぁ、ぼちぼちやね。美湖ちゃんまた食べにきてなぁ」

 そう言って笑ってみせると、おかみさんは私の肩をつんと指先でつついた。

「はいっ! 近いうちにぜひ!」

「そうそう……最近はようこのへんを浪士どもがうろつきよるけど、いずみ屋さんは大丈夫?」

 谷口屋さんは思い出したように手を叩くと、私のそばまで身を寄せて小声でささやく。

「えっと、たまに揉めごとはありますけど今のところ大丈夫です」

「甘うして居着かれたらたまらんからなぁ、ひどい客は遠慮せんと追い出したってええんよ」

 持っていた箒を振って、掃き出すようなしぐさを見せる谷口屋さん。
 一見いじわるな台詞だけど、おかみさんがお店を大切に思っているからこその発言だというのは理解している。

「そうですね。あんまりひどい人にはそうした方がいいのかも」

「浪士らは居心地ええと思たらすぐに居着くらしいからな、いずみ屋さんも気ぃつけて」

「はいっ、気をつけます!」

 大きくうなずいて返事をすると、谷口屋さんは柔らかく表情をくずしてこちらに手をふった。

「ほな行ってらっしゃい。あらぁ、その竿折れてるけど……」

「大丈夫、なんとかしますっ! それじゃ、行ってきまぁす!」

 竿を持った手を左右に振って別れを告げ、私はきびすを返して走り出した。

 まぶしいお日さまが正面から照りつける。
 向かいの宿屋さんが呼び込みをする声、棒手振りさんが野菜の入った天秤棒を担ぎながら威勢よく上げる決まりの口上――。
 行き交う人々と賑やかな声であふれ返るこの見慣れた景色が、私は大好きだ。

「おっ、美湖ちゃん今日もおつかいか? 安うしとくで」

「今日は頼まれてないんですー! ごめんなさい!」

「釣り行くんか。堀から落っこちんようになぁ」

「はぁい!」

 すれ違いざまに、こうしてご近所さんや商人さんと言葉を交わすのも、いつものこと。
 皆せわしなく日々を過ごしながらも、人とのつながりを大切に生きている。

 私も、一刻一刻を無駄にしないように動かなきゃ。
 今日は忙しいんだ。
 写場に行って、ほとがらに写る三人を探して、釣りをして――!

 考えているうちに、なんだか無性にわくわくした気持ちが胸のうちを満たしていく。
 私は思いきり頬をゆるませて、懐に入ったほとがらに手をそえた。