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 美桜が産まれたのは26年前、桜の花が美しく咲き誇る温かな日だった。本来なら普通に成長し、大きくなっていくのだが、ある日を境に美桜は入退院を繰り返すようになった。美桜の病名は、唯人と紬と同じ拡張型心筋症だった。6歳になり、小学校入学のための健康診断で告げられた病名に、母と父は何を言われているのか分からなかったらしい。キョトンッと先生の話を聞き、「発作を繰り返せば死に至る」という最後の言葉を聞いた後、両親は事の重大性に気づいたという。

 しかし、それが死に至るものだと言われても、当の本人があまりにも元気で実感が湧かずにいた。そんなある日、10歳を迎えた美桜が初めての発作に倒れた。それからは、何度も発作を繰り返すようになっていく。15歳になると、心臓は限界に達しようとしていて、ベッドから起き上がることも出来なくなっていた。拡張型心筋症だとわかった時点で、ドナー登録もした。しかし、ドナーはなかなか決まらず、日に日に弱っていく見桜だったが、病院のスタッフ達の温かい看護の手助けもあり、楽しく過ごしていた。病院はいつしか自分の家の様になっていた。

 ベッドの上から、ひたすら空を眺め、雲の形が変わるのを何時間も見つめていた。もうすぐ16歳の誕生日と言うところで、ドナーが決まった。

 父と母は涙を流して喜んでいた。