「ああ……あの時足元を小さな虫が通り過ぎて、それを見下ろしただけさ」
「何よ、それ……」

 目の前に居た筈の常に飄々(ひょうひょう)としたラヴェルはもう見えなかった。何なの……? その瞳から巻き上がる冷たい風は。

「言ったよね。何も『なかったこと』にするって。それが叶った時、おばさんの記憶から息子さんが化け物に攫われたという事実は消えるんだ。遠い何処かで元気にしている、その『希望』だけが残る」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなの信じられないしっ! それに今誰かが『本当は化け物に殺されたんだ』ってテイルさんに吹き込んだらどうなるの!? もし嘘だってバレたら……あんたの『希望』は──」

 ──二倍の『絶望』に変わる……?

「そんなことはさせないよ」

 どうして? どうしてそんなに一直線に断言出来るの??

 あたしの心の叫びは、声にはならなかった。

 周りの闇と一体になる、ラヴェルの深い黒曜石の両目に、囚われてしまいそうだったから。

「いずれ分かるよ、ユーシィ。でも、君だけはちゃんと守るから」

 ラヴェルはいつもの調子に戻り、ポットのハーブティーを自分のカップに注ぎ入れた──。