「違うワインで呑み直そうか? 白と赤、どちらがいい? 店に上がって貰ってくるよ」

 哀しみの瞳に戻ってしまったタラを気遣うように、シアンはやや明るめの声を出した。グラスもワイン用の物を、バスケットから新たに取り出してみせる。

「こんな所でワタシに付き合っている場合なの?」
「もちろん! 今日は君に会える予感がするって言っただろ? その為に空けておいたんだから、とことん付き合ってよ。それに僕は自分の好きなことは必ずやるって決めたんだ。だから欲しい物も絶対手に入れる。一つはもう貰えたけど、まだもう一つを貰えてないからね」
「一つって?」

 身を起こし膝を戻したタラは、記憶を辿るように首を(かし)げた。

「貰った一つは、出逢った時に僕が欲しがったこのショールの薄紫。で……もう一つは、君の唇のオレンジ・レッド」

 昨日パラソルの下でそうしたように、彼の指先がタラの口先で留まった。彼女もまた寄り目でそれを捉え、しかし両手は小脇に置かれた鞄を探り……

「この口紅がそんなに欲しいの? 意外な趣味ネ」

 手にしたリップの蓋を引き抜き、クルりと一捻り、鮮やかな色をお披露目した。

「まさか!」
「まさか! ……でしょうネ」

 そんなおかしなやり取りに、同じタイミングで笑いが吹き出す。シアンと笑えば笑うほど、タラの心は軽くなった気がした。

「……悪いけど、そう簡単にはあげられないわ」
手強(てごわ)い方が燃えるって。……どう? 先に酔い潰れた方が負けっていうのは? 君、さっきパスティス飲んでただろ? きっと相当強いよね? 僕が勝てたら、どうか一つ熱い口づけを」

 シアンはワインを取りに立ち上がった。長い影がタラを覆う。

「残念ながらアナタは一生勝てないと思うわヨ」
「やってみなくちゃ分からない!」

 これまでの人生で、タラは酒に呑まれたことも、酔い潰れたことも一度もないのだ。たまには記憶でも失くしてみたい、そう思うことは幾度あっても、そうなることは有り得なかった。

「それでは、しばしお待ちを、マドモアゼル」

 紳士な礼を捧げてシアンは独り階段を上っていった。──長い夜になりそうネ。タラはその広い背とカランクの白い崖壁を見上げて、眩しそうに瞳を瞬かせた──。