「ユーシィ、いつか西へおいで……君の楽園を見せてあげるから」

 繊細な指先が離れながら立ち上がり、彼は去っていってしまった。あたしを隠す物置の扉の向こう側へ。あの暗い雲は何処かに消えてしまったように、扉の向こうは眩しくて。その後ろ姿を神々(こうごう)しく、溢れる光が彼を(かたど)っていた。長身と広い背と長い黒髪。それが『あの人』──あたしのウエストの全て──。

 夕暮れ、少し寒くなった頃にやっと帰ってきた祖父は、血眼(ちまなこ)になってあたしを探してくれた。眠りかけていた物置の中で、急に抱き締められて驚いたっけ。

 あの化け物は何だったのだろう。祖父が戻った時にはもう居なかった。黒い屍骸すらも跡形もなく。

 おじいちゃんに(いだ)かれて、ようやく泣けたんだ。

 あれからあたしの幸せな日々は三分の二が凍りついた。父さんと母さんとおじいちゃんで占められていたあたしの幸せ。その三分の二が。

 それでも時々それは半分に戻る。ウエストのあの綺麗な瞳を思い出す時。あたしを(いつく)しむように、向けられた潤んだ色、揺れる(まなこ)、震える(まつげ)

 なのに──。

 どうしてあの眼は揺るがないのだろう?

 ラヴェルの右の、漆黒の瞳は──。