「あ、あの……約束したけど……それは後のお楽しみってことで~」

 あたしはおずおずと、次第に足早に──ラヴェルに身体を向けたまま、遠く離れようと下がり続けた。でもどうやったって、普通に前進するラヴェルの方が速いに決まっている。結局追いつかれて、彼の長く細い腕が腰に絡みついた。

「えと、あのっ、や、やっぱり後にして──」
「ごめん、もうこれ以上時間は取りたくないんだ。最後のお願いだから──」

 ──最後!?

 うなじが逆側の掌で抑え込まれる。ラヴェルの唇があたしの右頬に近付いてきて──

「ラ……ヴェ……?」

 触れた途端、其処からラヴェンダーの強い香気が現れ、まるであたしの鼻腔から脳に到達し麻痺させたようだった。意識が……遠のく──

「ユーシィ、今まで本当にありがとう。……『なかったこと』にする、時間の始まりだよ──」

 哀しそうで嬉しそうなラヴェルの眼差しを、重い瞼が隠していく。

 ああ……ずっと言われていなかったから、そんなこと、すっかり忘れていた……。



 『なかったこと』



 ラヴェル……一体、何をしようというの──!?