それからラヴェルはあたしの空のグラスを受け取り、飲みかけのボトルを逆の手で持ち上げ、この時間を終わりにしようとした。まだ……あのキスの理由も、金貨の出所も訊けていないというのに。

「さて、もう遅いからそろそろ休もう。グラスは自分が片付けるから、歯磨きしてきていいよ、ユー……。──……『ユスリハ』」

 ──!!

 その時あたしの中の糸が一本断ち切られて、先刻までグラスを握っていた右手は、ラヴェルの左頬を(はた)いていた。

「どうしてよ……!」
「……?」

 向かって左に流されたあいつの横顔が、ゆっくり疑問を抱えて戻ってくる。頬を張られても声も上げず、グラスを落とすこともなく。

「どうして、あたしの過去の悲しみまで背負おうとすんのよ! 今……ウェスティに呼ばれた愛称を……自分が呼んだら傷つくって思ったんでしょ!? そんなくらいで、あたし壊れたりしないから……笑顔を忘れたりなんてしないから……だから!」

 ロガールさんとアイガーの前で、ツパイとピータンの前で、そして昨夜ラヴェルの前で沢山泣いた。だからもうあたしは泣いたりなんかしない!

「そうだね……ごめん。自分だけが思い込んでた。ユーシィは、強いんだね」

 違う、違う……あんたがあたしを強くしてくれたんだ。だってあんたは……。

「十年前の両親のこと、あたし、あんたの所為だなんて思ってないからっ。他の皆だってそうだよ……今回のことだって……だからあんまり背負(しょ)い込まないで……」

 泣かないって思っている矢先から、涙が溢れそうだった。それを(こら)えて顔を上げる。

 ラヴェルは一度左手の中のボトルをチェストに預け、今一度あたしを笑顔で見下ろした。

「ありがとう。それから、ゆっくり休んで。おやすみ、ユーシィ」

 ふんわりあたしの頭頂部を撫でる。再びボトルを手にしてキッチンへ(きびす)を返した。

 そして──。

 あいつは今までのような、おどけてキスをねだる弾けた一面を、この先ずっと見せることはなかった──。