「ピータン??」

 拍子抜けした驚きを含む質問が横から聞こえた。あたしは咄嗟に顔を逸らせる。涙が触れたら気付かれてしまう。

「えっと~あー知りません? ずっと東の国の卵の加工食品……な、何だか急に食べたくなってぇ」

 どう考えてもおかしいだろう。あたしも自分自身、まさかそんな言い訳が現れるとは思わなかった。それでも右肩の方から押し殺すような笑いが聞こえてきて、ひとまずホッと息をついた──が!

「まさかジュエルに(あざむ)かれるとはな……私も随分油断したものだ」

 サッと上げられたウェスティの顔。その左眼は険しく細められていて、口の端は悔しそうに歪んでいた。いきなり顎の先が痛い程の力で抑えつけられる。両手首はあの夜のように、頭上で拘束されていた。

「あっ……ウェス──」
「もう言い訳は無用だ。君が私を愛せなくたって構わないのだよ。私は自分のように悪にまみれた子が欲しいのだから」

 ──!?

 心の奥底から打ち震えるほど怖ろしいと感じていた。そうだ……あのザイーダという化け物の黄ばんだ色と同じ左眼──。

 あたしの瞳は十年前の、あの恐怖から逃れるようには閉じられなかった。そんな身動きの取れない唇に、近付いてくる嘲笑うかのような口元。どうしよう……これでキスされたら操られ、花嫁の契約を交わしてしまう。

「ぐっ──何だっ!」

 けれどそれを阻むように、ウェスティの顔面に何かが覆い被さった。何か──ピータン!?

「ふざけたことをっ……待て! ユーシィ!!」

 彼がピータンと格闘している間に、出来た隙間から身体をすり抜かせ、あたしは立ち上がり天幕の方へ逃げた。ああ……バカだ……こっちは城への出入口とは真逆で行き止まりで、在るのはずっと真下の森だけなのに!

「私から逃げられるなんて思わない方が良い……これは運命なのだよ……さぁおいで、私の花嫁」

 あたしは天幕を吊るす柱の向こうで振り返った。何もかもが袋小路だった。(かかと)の後ろにはもう足場がない。口づけを受け入れたら──あたしに未来はない!