暴走環状線

〜岐阜県多治見市〜

「結局、終電になってしまいましたね」

「ああ、疲れたな」

警視庁対策本部、鑑識部兼科学捜査部長、豊川勝政と、その妻雅恵。
夫婦仲良く名古屋〜飛騨高山の旅に来ていた。

ことの発端は、警視庁御用達の料亭『鈴蘭』の女将《おかみ》、恭子から名古屋の和食会に招待されたことから始まった。

「しかし、あなた達ってあんな美味しいものを、いつも食べているなんてねぇ」

「ばか言うな。いつもは本部にこもって、出前か弁当だ💦」

「ホホ、分かっていますよ。でも鈴蘭恭子さん、料理もいいけど、素敵な方でしたね」

「かなり苦労して来たみたいだからな」

平日のローカル線の終電。
2両編成のワンマン電車は、ガラガラである。

多治見を始点に、小泉、根元、姫、下切、可児、川合、終点の美濃太田までの30分。
夜になると、途中の駅は全て無人駅となる。

1線路がほとんどで、レールが分岐した駅で待ち合わせ、すれ違うのである。

豊川夫婦の電車が下切駅に着いた頃。
美濃太田からの回送電車が、待ち合わせの可児駅に差し掛かっていた。


が…いつもとは違っていた。
全く減速すらせず、最高速のまま無人の駅を通り過ぎたのである。

この異常事態に気付く者もいない。



2人の乗った終電が、下切駅を出る。

「次は〜可児。お忘れ物のない様……えっ?」

アナウンスをしかけた運転士が、異常を告げる赤信号に気付いた。

「あら?どうかしたのかしら?」

「んん?」

その途端、急ブレーキの金切音が響いた。
横向きの長椅子に座っていた2人。

咄嗟に妻の体を片手で抱き止め、片手はポールに巻き付けて堪える豊川。

2両編成の先頭車両で、ふと進行方向を見た。
眩しい電車のライトが近づいて来る。

「うわっああ⁉️」

止まった電車から、運転士が慌てて車外へ飛び降りる。

「バカな⁉️」
と思った瞬間。

「ヅガッシャーン❗️」
激しい衝撃に、何人かが宙を舞う。

「グッォオオ❗️」
渾身の力で踏ん張り、妻とポールを抱えた両手を組んで耐える。

「ガガガガガーッ❗️」

正面から、ぶつかった車両が、互いに潰れながら迫る。

思わず目を閉じて、死を覚悟した。



ほんの一瞬。
しかしそう感じない不思議な時空。


全てが止まっても、少しの間は動けず、状況を理解する為の間が空く。

呻き声と、電気のスパーク音、焦げ臭い煙。
我に返った豊川。

「おまえ、大丈夫か?」

「は、はい。いったい何が…」

「とりあえず、ここにいてくれ」

妻の無事を確かめて、怪我人の救助に向かう。
重症者を優先して、横にして安定させる。

(ひでぇな、こりゃ…)

豊川を見て、動ける若者数人が手を貸す。

「シッカリしろよ! 君、ここを強く抑えて!」

向かいの車両に、飛ばされた一人が見えた。
「君、ついて来い!」

繋がった空間を潜《くぐ》って、座席に貼り付いている乗客をゆっくり起こし、床に寝かせる。

「クソッ。君もベルトを外してくれ!」

まずは自分のベルトで、ちぎれた片腕の上部をキツく縛る。

「グァ❗️」

(まだ助かる)
呻き声でそれを確信する豊川。

「シッカリするんだ」
渡されたベルトで出血の酷い片足も締付けた。

「ありがとな、君は外へ出るんだ」

(運転士はどこに?飛び降りたか?)

その疑問は、次の瞬間、絶望に変わった。

「そんな…」

回送電車の運転士は、1/3程まで潰れた、車両の固まりの中にいたのである。