子どもの頃から瑛理は賢く、私のことを馬鹿にしていた。私がどんくさくて要領が悪いせいだと思う。ぼうっとしている私と利発な瑛理は対照的な子どもだっただろう。
からかわれるのはしょっちゅうだし、意地悪なこともたくさんされた。許嫁という意味がしっくりこない幼少期は、ひたすら瑛理とは仲良くできないと思っていた。黙っていれば可愛い顔をしているに、その顔を意地悪くゆがめて嫌なことばかり言うのだ。

許嫁というのがいずれ結婚しなければならない間柄だと実感を持ち始めたのは、小学生になってから。同じ私立の小学校に通いながら、私も瑛理もその件については何も言わなかった。小学生になると瑛理はさらにマウントを取るような男子になったし、私も負けないように言い返す少女になった。周囲は私たちが幼馴染なのは知っていても、将来を誓わされた仲だとは思わなかっただろう。

事態が動いたのは私たちが中学生の時だ。
美優さんに恋人ができたのだ。それは高校の同級生で、私の目から見てもロマンティックな熱愛だった。
彼は志筑家に挨拶に行き、どうか結婚を許してほしいと頭を下げたそうだ。高校生男女とは思えない真剣交際に、力を貸したのは兄。
兄と美優さんはそれこそ親友のように仲がよかったものの恋愛感情を持ったことはなく、兄は美優さんの恋を応援する立場を表明した。
古賀家も志筑家も揉めに揉めた。なにせ当時は婚約を決めた祖父が両家ともに健在だった。しかし思い詰めた美優さんと恋人が駆け落ちするのではと兄と誠さんが家族を説得。
美優さんと恋人の仲は認められ、兄との婚約は解消となったのだ。

両家の当主が婚約解消を許した大きな理由があった。私と瑛理の婚約関係が生きていたからだ。一組は駄目だったが、もう一組がある。このふたりが確実に結婚すれば、古賀家と志筑家は親戚関係になる。
私と瑛理は、婚約から逃げるわけにいかなくなってしまったのだった。