私、古賀柊子と志筑瑛理は所謂幼馴染で許嫁である。
私たちがまだ赤ちゃんの頃に「いつかこのふたりを結婚させよう」と時代錯誤な約束をしたのは、私たちそれぞれの曽祖父と祖父。

古賀家はさかのぼれば元禄時代から、生薬の製造を担う生産農家だったそうだ。江戸に本拠地を置き、各地で大規模農園を営み、漢方薬を作っては問屋に下ろしていたという。
志筑家は薬種問屋として長く古賀家と付き合いがあった。
明治維新の折、古賀家は生産者から薬種商に姿を変え、明治末期には古賀製薬株式会社となった。志筑家はこのときに薬種商いから撤退し、総合商社へと鞍替えした。古賀製薬の持つ地方物流のツテを頼る代わりに、薬種問屋の培ったノウハウや顧客を譲り渡したというのだから、当時から蜜月関係の二社だったようだ。

そんな古賀家と志筑家の中でも、私たちの父親同士は幼馴染だった。幼稚舎から大学まで一緒に通った親友だそうだ。古賀家と志筑家の当主たちは考える。親交深い両家が親戚関係になるのはどうだろう。合併はせず、困ったときは助け合える企業体になろう。

そこで決まったのが私と瑛理の結婚、そして兄・邦親と美優さんの結婚だった。
私たちは小さい頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた。
誠さん、兄、美優さん、ここが一歳違い。美優さんから三つ離れて私と瑛理が同い年。私は年長の三人は大好きだったけれど、瑛理は意地悪で嫌いだった。