貴方は笑ってますけど、周囲にはコンビニなんてない
高級住宅ゾーンにあるハイクラスなマンションの高層階。
 なのに冷蔵庫にはお水だけ。ラーメン等のストックなんか
あるはずもない。台所は使った形跡もない綺麗なまま。

 絶対大げさじゃない。これは本当に不味い。

「アイドルはうんちしない都市伝説は本当だった!?」
「すぐに食事が出来るから」
「近所に買い物できそうなお店あります?」
「ないね。欲しい物のリストをくれたら買ってきてもらうよ」
「やっぱり貴方は植物なのかも」
「確かめる?ここで全部脱いでもいいよ」
「……」

 そっと彼の手をつついてみる。硬い大人の男の腕だ。
来画さんのような逞しい鍛えた腕ほどじゃないにしても。
 決して緑の血液が見えたり枝が見えたりはしない。当たり前だけど。

「セーブしたとはいえ現行で撮ってたドラマは抜けられない。
夜少しだけ外出するけどいい子で待ってて。まっすぐ帰るから」
「良いんですか?芸能界は厳しいのに。お仕事あるうちが花ですよ」
「よく分かってる。俳優の仕事が無くなったら2人で花屋をしようか」
「貴方が思ってる以上に花屋も厳しい世界なんだから」
「美しさを維持するのはどこでも大変なんだね」

 話しているとインターフォンが鳴って朝食は運ばれてきた。
ふわふわで美味しそうなパンケーキにジャム、サラダ、スープ。
 なるほど電話1本で用意されるなら何も持って無くてもいいんだ。

 テーブルに朝食を並べて2人席につく。
 母のもとに居た頃からずっと食事は1人だったから、不思議な気分。

「来画さんのこと覚えてる?」
「誰?」
「昔パーティで一緒だった男の子。ご高名な書道家の息子さん」
「……ああ、居たかもね。そんなチビ」
「子どもなんだから小さいのは当然じゃないですか。私だってちびっこです」
「ちびっこの実花里はそいつの事がお気に入りだったよね。
私の方が前から仲良しだったのに。ひと目見てすぐに気に入ってしまって」
「歳が近いからかな」

 やっぱり彼にはあの時の記憶があるんだ。

 私はまだきちんとは思い出してないけれど3人で一緒に遊んでいた
ようだからきっとその場ですぐに仲良くなったんだろうな。
 会場で初めて会う幼い来画さんと私。前から知ってた曽我さん。

「歳が問題?年上だから君には相応しくない?」
「そんな事言ってない」
「……違うよね。ただ君の趣味じゃなかっただけだ」
「詩流。そんな言い方するなら」
「帰らないで」
「詩流のサラダにハチミツかける」
「それは本当に嫌だ。もう言わない」

 お腹を満たして少しだけ落ち着く。けど、私に与えられた部屋が
あまりに広くてちょっと落ち着かない。ベッドと机の他はなにもないし。
 テレビはリビングにあるけど。観たい番組も特にない。

 自分の部屋からノートPCを持ってきて大正解。

 事情を汲んでレポートは期限を伸ばしてもらっているけれど。
だからって何もしないわけにはいかない。
 
 誰かに襲われてショックを受けている訳でもないから。
 記憶にないから私はこうして普通にしていられる。

 記憶にないから密かに混乱もしているけど。
 過去の出来事もそうだけど、来画さんと病室で何をしたのか。

 少なくとも彼の体には触れたらしい。全く興味がないわけじゃ
なかったからその様子を想像してドキドキしている。

 誘えばきちんと私を抱いてくれるんだろうな。とも。

 お昼もケイタリングで済ませて部屋を出ずに過ごす。その後も
 何をされることもなく別々の部屋でまったりと時間が流れて。

「詩流」
「そろそろ行かないと。夕飯少し遅くなるけど」
「待ってる。けど、深夜になるなら先に教えて。ピザ頼む」
「分かった」

 夕方に近づいてリビングが騒がしい。
 顔を出すと出かける準備をしている曽我さん。

「……信じてる」
「嬉しいよ」
「女優さん持ち帰ってきたら怒るから」
「そんな余裕ないよ」
「男でも一緒だから」
「実花里」
「お見送りって寂しいから苦手なんです。すみません」

 これが最後でもないのに。帰ってくるって分かってるのに。
今日は早く帰ると約束したのに無視されるのが当たり前の母親のせいか不安。
 待っていることが嫌になる。でもそれしかできない弱い自分が一番嫌だ。

「……待ってて」

 そっとおでこにキスされる。

「わ」
「驚いた?本当は唇にしたいけどそんな勇気はないから」
「……詩流」
「勘違いしないで欲しいのはここへ連れてきたのは本当に心から
心配してるからで、君を閉じ込めて自分の物にするためじゃない。
前も言ったろ。君の前では私は無力になる……」
「……」
「そんな顔をしないで。笑顔で見送って欲しい。帰ったら君は居ない
んじゃないかと心配になる。……私だって不安なんだよ」
 
 苦しいのは皆いっしょなのに。
 自分だけが辛いと思ってる悲劇のヒロイン気取り?

 本性を見せてご覧なさい。

「……」
「気分が悪い?」
「ううん。いい子で待ってる」
「じゃあ行くよ」

 去ろうとする曽我さんの手をぐっと引っ張って。
 思いっきり背伸びをして。

「先に来画さんとキスしたから。これで一緒」
「悪い子だ」
「知ってるくせに」

 彼は少し遅刻したみたいだけど。私は自分の部屋へ戻り作業を再開する。