白いシャツの少年 【恋に焦がれて鳴く蝉よりも・番外編】

 「私は……侑久が、好きだ」
 祈るような想いでそう言った瞬間、侑久
の泣きそうな顔が目に映り、胸が締め付け
られる。このたったひと言を伝えられない
まま、どれだけの月日を過ごしてきたこと
だろう。侑久の顔が大きく歪んでしまうほ
ど溢れ出してしまった千沙の涙を親指で拭
うと、侑久は静かに唇を重ねた。

 昨日、初めて知ったばかりの唇が、今度
は深く、奪うように千沙の唇を覆う。
 テーブルに押し倒されないように侑久の
背にしがみつけば、抱き締める腕の強さと
共に唇を割って温かなぬめりが入ってくる。
 それが侑久の舌なのだと理解した瞬間に、
千沙は肩を震わせた。甘くやわらかな感触
が、もどかしそうに千沙の舌を撫でる。

 侑久らしい、やさしい口付け。
 けれど、もう自分を離さないのだと、
その唇が教えてくれる。幸せ過ぎて心臓が
破裂してしまうのではないかと心配しなが
ら、千沙は与えられる唇を必死に受け止めた。

 やがて名残惜しそうに、侑久の唇が離れ
てゆく。千沙は肩で息をしながら、夢見心
地で侑久を見つめた。

 「……やっと言えたね。俺も、ちぃ姉が
大好きだよ」

 幼馴染から恋人へ変わったばかりの侑久
が、ぺろりと唇を舐めながら言う。
 その仕草に、今まで知ることのなかった
侑久の色香を感じてしまい、千沙は両手で
顔を覆った。

 「……わかった。わかったから。もう、
これ以上は恥ずかしすぎて心臓がもたない」

 少女のように恥らいながらそう言った
千沙に、侑久は「はは」と笑いながら肩を
叩く。指の隙間から覗き見た彼は、真実、
年上なのではないかと思えるほど一人の
男性で、ぱりっと着こなしたスーツ姿が
眩しくて仕方なかった。

 ふと、腕時計に目をやった侑久に千沙は
現実に引き戻される。「化粧室に行って来
ます」と部屋を出てから、随分経つ。もう、
御堂もこの料亭に着いているはずだった。

 「……どうしよう」

 自分が戻らないことに動揺しているであ
ろう両親を思いながら、千沙は侑久を見た。

 その千沙の手をきつく握ると、侑久は
小さく頷く。

 「ここから逃げよう」

 「えっ!!?」

 あまりの驚愕にまた声をひっくり返して
しまった千沙の手を引き、侑久が縁側の方
へずんずん歩いてゆく。千沙はわけがわか
らないまま、引きずられるようにして侑久
の背中に叫んだ。

 「でっ、でもそんなことしたら!!」

 「大丈夫。あとは智花が引き受けてくれ
るから」

 「とっ、智花もここに来てるのか!?」

 その言葉に目を丸くした千沙が、「あっ」
と思い出したように声を漏らす。

 そう言えば、さっき、赤い太鼓橋を渡っ
ていた男女の背中。その片方が侑久のもの
なら、隣に並んでいた白い振袖姿の女性は
智花なのだ。

 千沙はそのことに思い至ると縁側を下り、
沓脱石に立った侑久を見下ろした。