夏美の知る隆は、いつでも夏美ちゃん、夏美ちゃんと言って寄ってくる子犬のような彼氏だ。
 怒ったらどうなるのか。夏美はそれが知りたい。知らないことには、悪い方へ悪い方へと考えが進んでしまう。
「嘘をつく女の子とは暮らせない。婚約破棄だね」
 あっさりそう言う隆を想像してしまう。
 やだ、そんなの…!
 ベッドに投げ出した足をばたばたさせるが、何も変わらない。
 そして、連絡がつかないことへの不安。ただのケンカが原因で連絡がつかないのならいいが、隆の身に何か起きたのでは、と思うとどっと心配が押し寄せてくる。今日までは出張の予定だった。明日以降はどうなっているのか、明日にでもリリスの戸坂にきいてみようと思っていた。
 いつの間にか、夏美はうとうとしてしまっていた。
「夏美ちゃん、起きて。どうしたの。風邪ひいちゃうよ」
「隆さ…!」
 思わず、夏美は目の前の隆にしがみついた。
「怒ってないの…」
「怒って…」
 怒ってない、と言って!と思った瞬間に目が覚めた。
「はあ…夢まで…もう。隆さんロスだよ」
 うだうだしている自分に辟易してきて、夏美はベッドから立ち上がった。
 そうだ、ハーブティーでも飲もう。確か、前に友達にもらったのが棚にあったはず。そう思って棚を探ると、いつもは使ってないスケッチブックが出てきた。
「あ、これ…」
 夏美は、天啓を受けた気がした。
 そうだ。今の私ができることが、ひとつだけ、ある。
 夏美は机に広げていた画材を片付け、そのスケッチブックを真ん中に置いた。鉛筆を手にとり、よし、と頷く。
 夏美は、描き始めた。
 
 部屋のチャイムが鳴って、夏美は目を覚ました。手に絵の具がついていて、その手のまま目をこする。目じりの横に、黄色の絵の具がつく。
 寝ぼけ眼で、夏美は玄関ドアを開けた。
「夏美ちゃん!おはよう!お土産、買ってきたよ!」
 荷物を抱えた隆が立っている。
 夏美は目をさらにこすった。
 これって夢の続き…?
「わあ、夏美ちゃん、顔がピカソみたいになってる!」
「隆さん…本物?」
 やっと言葉らしい言葉を発した。隆がくしゃっと笑う。
「帰ってきたよ。ただいま」
「おかえり…」