「誰の話をしているんだ?」


「……え?」









「" 彼女 "と言われてもなぁ~」



石沢さんの瞳に俺が映る。



それはもちろん、

石沢さんと目が合っているからで。





「名前を言わないと、誰のことか分からないだろう」


「っ、」





だってそれは…



『二度と紀恵の名前を呼ぶな』



あなたがそう言ったからであって。





(………ああ、でも。)



それは言い訳にすぎないのかもしれないな。





彼女の名前を言えなかったのは


俺自身が


まだちゃんと



決意を固められていないからだ。





その事実に



グッ、と。



手に力を込めて






「紀恵さんのことが好きです」





しっかり目を見て逸らさず





「俺は、紀恵さんを愛しています。」





力強い声でそう伝えた。



無意識に身体に力が入り
声を張ってしまう。







「………、…そうか。」



怒鳴られると覚悟していたはずなのに
……なぜだろう。


石沢さんは前から全て分かっていたような、そんな顔をする。





「そんなにも紀恵のことが好きか?」


「はい」






「紀恵の心がもうお前になくとも、同じことを言えるか?」



試されてる。


きっとそうだと思う。



その質問にどう答えるのが石沢さんにとって正解なのか分からないけれど、





「はい。」





嘘、なんて使わない。



自分自身の言葉で。





「例えそうであろうと、俺の気持ちは変わりませんよ。」





それほど、好きなのだから。






真っ直ぐ石沢さんを見つめる。



その視線に石沢さんも逸らすという行動はせず、「ふぅ…」と小さく息を吐いていた。





「さっきから自分のことを" 俺 "とばかり言っているな」


「あっ……」


「お前にしては珍しい。焦っているのか」





確かに、ずっとそう言っていた気がする。



俺としたことが…




「すみません」と、頭を下げようとするも





「いや、いいんだ。
その方が堅苦しくなくて話しやすい」





石沢さんがそれを止める。





「お前の気持ちをちゃんと聞けている気がするしな」


「っ、」


「あの時もそうやって本当のことを話してくれれば…」





呟くように聞こえたそれ。


けれど顔つきは意外に穏やかに





「島崎。お前のことはずっと完璧だと思っていたが、ちゃんと人間らしい部分もあるじゃないか。……少し安心したよ。」


「っ………」







「だが。

嘘をつくなら、
誰もが幸せになれる嘘をつきなさい。」





その言葉に、俯きかけていた顔が上がる。





「お前はあの日、紀恵は了承していないと言っていたな。それは嘘なのだろう?」


「っ!いや、それは…」





違う。あれは俺が勝手に…






「あの子は依存するくらいに
お前のことを想っているんだぞ。

実家に帰って来なさいと言った時だって
紀恵は必死にそれを拒んだんだ。

お前の傍から離れたくないと。
苦しい思いもしていないと。

それら全部、紀恵本人が言っていたことだ。

お前の姿を必死に探す姿も
俺の一言に怒る姿も、

全部、お前を想ってしたこと。


……紀恵があんなに必死になる姿、初めて見たよ」





言われて浮かぶ、その頃の紀恵さんの姿。


きっと涙を浮かばせていただろう。




俺はもう、


彼女のそんな姿も


俺のせいで泣かせてしまうことも



もうしたくないんだ。





「…………っ」





顔を右の手のひらで覆い隠し、顔を俯かせる。


いろんな感情が合わさって
目頭が熱くなったから。



石沢さんの言葉は
俺の心へゆっくりと溶け込んでいく。





「……紀恵も、お前のことを忘れられないみたいでな。ずっと浮かない顔で毎日を過ごしている。



あの子が笑顔になれるのは、
きっとお前じゃないと無理なのだろう。」


「っ、」





ちゃんと石沢さんを見なければ。



なのに、どうも顔を上げられない。




今の俺はきっと───





「俺はお前を信用しているからこそ、
大事な1人娘をお前に預けられるんだ。」





ポンッ、と。

そんな俺の肩に優しい手のひらが置かれた。




俺を前へと後押しするかのように


優しく、触れる。






「………島崎。


紀恵のこと、これからもよろしく頼むよ。

毎日が幸せでやまない
そんな日々にしてやってくれ」





石沢さんには絶対見せられない顔で



あたたかいものが、溢れた。