ある日のこと
「紀恵。」
部屋で宿題をしていた私の元にお母さんがココアを作って持ってきてくれた。
「あら、宿題?」
「うん…」
「ちゃんとしてるのね~」
「えらいえらい」と呟きながらベッドに腰掛けたお母さんを横目に、私はプリントへペンを走らせる。
「ねえ、紀恵」
再び名前を呼ばれるまでは。
「……なに?」
振り向かず、プリントに視線を当てたままそう返事をする。
「颯ちゃんって、どんな人?」
けれど、まさかの質問に手が止まってしまう。
「どんな人って……」
「学生の頃の颯ちゃんしか知らないから、大人になった颯ちゃんはどんな人になったのかな~って。
お父さんよりも、紀恵の方が良く知っているでしょう?」
「…………………」
消そうとしていた記憶を
再び思い出させるように言われては
「………家事は…なんでも出来て、料理は全部美味しくて、私よりもずっと大人で、けれど服選びが苦手。だから服装はいつもスーツなの。
……ちょっと変わった人でもあるけど、周りのことをよく見てる。
私の嘘なんてすぐに見破っちゃうし、悪いことは悪いとちゃんと教えてくれて、落ち込んでいる時もすぐに気づいてしまう………」
口を開ければ、溢れ出るように言葉が出る。
ああ、思い出してしまった。
忘れようと頑張っていたのに…
「……なんだかもうお母さんみたいで執事みたいな人だよ」
ポタッと溢れた涙がプリントに跡を残す。
「……そう。」
呟くような声で聞こえたそれをしっかりと耳にとらえてから、軽く目を擦る。
こんな事で泣いちゃうなんて……私はまだまだ子供だ。
「ほんと、執事みたいね」
「……うん」
「紀恵のことをちゃんと見ているところは、昔と変わらないわ」
「………、…うん」
………確かにそうかも。
幼い頃、よく颯太さんに怒られたっけ。
それは私が嘘ばかりつくから。颯太さんはそれを見抜いて「嘘はダメだよ」と毎度叱ってくれた。
あの時は嘘ばかりついていたなー…
颯太さんと遊びたくて、習っていた水泳を「今日は休みなの!」って嘘をついたり。結局バレちゃって行くことになるのだけど。
その懐かしい記憶に思わず口元が緩む。
と、
「紀恵」
名前を呼ばれて振り向けば、
お母さんは優しく微笑んでいて、
私の気持ちに勘づいているかのように
「颯ちゃんの事、好き?」
今まで力のない声で喋っていたけど、
今この瞬間だけは
「うん。」
とてもしっかりとした声で大きく頷いた。
好き。大好き。
もうその言葉じゃ言い表せないくらいに
「颯太さんの事が好き」
真剣にお母さんの目を見て
逸らさず、しっかりと。
なんでそんな事を聞いてきたのかは分からない。でも、嘘なんてつくつもりもない。
だって、つけないよ。
……好きなんだもん。
嘘でも好きじゃないなんて言えないよ…



