「なに」

「いや、可愛いなって」

 優しく撫でるその手の温かさに、心地良いと思いそうになるが、私はそんなことで絆されるほどではない。
 可愛いなんて、私に使うべき言葉ではなく、蒼のような存在に言うべきだろうに、何を思っているのかよく解らない。
 穏やかに微笑み撫でるその手に、何を重ねているのか見て見ぬ振りをしているうちに、彼の手は離れていく。名残惜しさを誤魔化し、這い出る赤を塗り潰して見上げる。

「俺等も行くか」

 修人は突然そう言うと、これまでの空気を一新させるかのように、倖の隣にいた蒼が手を上げる。きらきらと、瞳を輝かせながら待ってましたと言わんばかりの表情には、犬にしか見えなくて、尻尾が揺れている。

「行くって」

 何処に、という言葉を飲み込んだのは、あまりにも倖の笑みが綺麗過ぎて、嫌な予感がしたからだ。
 これは下手に口出しするものではないと、早々に判断した私は椅子から立ち上がる。

「私、教室に戻るから」

「何言ってるんですか、あなたも来るんですよ」

 そんな当たり前のことのように言われても困る。彼の瞳が逃さないと暗に告げているが、こちらとてはっきりと嫌という意思を見せている。
 頭の中で何か策はないかと巡らせ、口を吐いて出たのはあまりにも見え透いた嘘。

「今日は、彼氏とデートの日だから」

 咄嗟の思いつきとはいえ、自分で言って自分が一番傷付く嘘に、泣きたくなってくる。もちろん彼氏なんて産まれてこの方できたこともなく、作る気も必要性すら感じない。