「俺が、離すと思う?」

 色気の増すばかりの蒼の一人称が変わる。
 これまで“僕”であったはずのそれは、“俺”に変わっていて、顔を覗かせるのは別の一面だ。
 色気とか、そういったものの類にかけ離れた顔をしているのに、どうしてこうなったのか。彼を退かそうにもどうにもならなくて、彼はそれがまた嗜虐心を煽られるのかクスクスと笑みを零す。

「なっちゃん、早く逃げないと。俺、なっちゃんのこと食べちゃうよ?」

 瞳の奥に灯る熱は確実に私を獲物として捉えている。
 首筋をなぞる手が徐々に降りていき、シャツの中へと入り込み、鎖骨に触れる。
 食べるとはなんなのか。ここまで状況証拠を並べられて理解できないほど無知ではない。色々納得したくない、目を背けたいがそれでもなんとか口を開く。

「……はな、して」

 口にしたはいいが、これでどうになるとは到底思えない。
 案の定彼は大きな溜め息を吐き、見下ろす瞳が炎へと変わった。

「なに、天然なの? 駄目って、言ったのにさ」

 ねぇ、なっちゃん?
 と、徐々に近付いてくる顔。突然のことに驚きの声が漏れるが、それを無視して迫る顔。
 万事休すに目をギュッと瞑ると、携帯特有の機械音が鳴り響いた。
 恐る恐る開いた目に映るのは、残り数センチの距離であったという事実。思わず吐く安堵の息に、助かったと心臓を落ち着かせる。
 蒼は不満そうな顔のまま、ズボンのポッケを探ると出てきたのは可愛いキーホルダーの沢山ついたスマホ。それをおもむろに耳に押し当てると、如何にも不機嫌な声で返事をする。