酔いしれる情緒




「ついさっき、橋本さんに捕まった。逃げるにも逃げられない状況で一ノ瀬櫂のことを聞かれたから素直に言ってやったの。

私、一ノ瀬櫂は好きじゃないって。

目が合ったら逸らしてくるし、赤の他人だって言わんばかりの態度だし、女の人と平気でキスするし。おまけにあの笑顔。もう全部が嫌い。


………なのに、こうやってドキドキしてる。好きじゃないって言っときながら……こんなの、橋本さんに合わせる顔が無いじゃない」


「……それが理由で怯えていたの?」


「だから怯えてないって…。

アンタと目が合わせられなかったのも、離れてほしかったのもそれが理由。
早くここを落ち着かせたかったから。


……煩いの。もうずっとずっとずっと。


私が好きなのは春なのに。
一ノ瀬櫂は好きじゃないのに…」


「………………」





正直に話してみたけど、こんなおかしな話を聞いて彼は笑うだろうか?



笑われてしまっても仕方がないと思う。


だって、一ノ瀬櫂も春も同一人物なんだから。





(───そうであっても、違うものは違う)






「……甘いものが好きでムカつくくらい強引で。嫉妬深くて、抱きつき癖があってキス魔で。私の名前を呼ぶ時はすごく優しくて……私を、しっかりその目に映してくれる。

私はそんな春だけが好きなの」





出会って数ヶ月。その数ヶ月の間に私は春のことをこれでもかと知った。


言い足りないけど、まだまだ他にもいっぱい。


他の誰よりも春のことを知ってるって、そう言い切りたいくらいに。




ずっと一緒に居たからこそ分かること。



だから、私は彼……一ノ瀬櫂のことをよく知らない。


だって今日、初めて目にしたんだから。




「…………なぁ、凛」




彼は私の言葉を聞いたそばから


もう片方の手で眼鏡を外した。




私はその仕草をしっかり瞳に映していると


色素の薄い彼の目に私が映る。




真正面から、何の邪魔もなく。







「俺は今、一ノ瀬櫂じゃないよ」







優しく笑って、優しい声で私を呼んで。