「あ、逃げた」



そんな声なんて関係なく我を忘れ、ただひたすら走った。



ウォンウォン



どんどん近づいてくる鳴き声。


走りながら治まったと思った涙がぶり返してくる。


私っていつになっても不幸ばかり。

本当に“不幸の子”。

不幸の子は悪い子、存在価値などない悪だ。


どうせバケモノになるのなら、こんな未完全な災いの源なんかになりたくなかった。



『生まれてこなければ良かったのよ』



じゃあ何で私を孕んだの。



『それはお前が勝手にお腹に入ってきたんだよ!!』



はぁ、呆れた。意味わかんない。



『今すぐ消えろ!!死ね!!』



私ばっかり。私が何したって言うのよ…。


怒り、悲しみ、寂しさ、残酷さ、虚しさ。

この胸にあるすべての感情をこの走りで弾けさせることに無我夢中だった。




気付いた時には、ノアとの日々がつまった部屋へ駆け込み、ベッドの下に逃げ込んでいた。


犬たちがベッドの周りに群がり、大きな体をめり込ませようとしている。

だが、口の先しか入らず苦戦していた。


べっとりとしたよだれが四方八方に飛び散り、脚にかかったときには顔が青ざめた。



ワンワンッ



ベットが犬に持ち上げられて床に鈍い音が走るときには思わず涙が出そうになった。


嗚呼、もう終わりなんだと。

自分はもう逃げることができなくて、この世界でも上手くやっていけないんだと絶望した。




死を覚悟するような出来事を目前に、目の前の映像が切り替わった。



『ま……っ!!……って、言って…な…!!』



どこか見覚えのある場所。



ここは……母と住んでたアパートの一室にそっくり。

いや、ここはその場所だ……。



胸元まであるぼさぼさの傷んだ髪に乱れた服装。

スーツ姿をした男性の足に縋り付いて、訴えるかのように必死に何かを叫んでいる。


あれが母だ。

あんな顔をしていたっけ……?


今見ている姿はあんな風だけど、美人な人だったんだろうなと思っていた記憶にある。



『あいつはあたしの娘じゃない!』



この言葉だけは、一番鮮明に聞こえた。



母が指を指した先には、部屋の隅で蹲っているぼろぼろの服を着た私だった。

5歳の頃の私だろうか。


ぶるぶると震えているその体はとても小さく見えた。




男の人が口を開き、母はそれを拒む。


しばらくその揉み合いが続いた後、男の人は母が縋っていた脚を蹴り上げた。


母は後退し、男の人は母に目もくれず、去っていった。



しばらく沈黙が続いた後、



『………このっ!!!』



私も、あなたを母親と思ったことはない。



バシィッ



母が蹴られたのは頬だったらしく、頬は赤みを通り越して黒く腫れ上がっていた。



あげられた手が少女の頭部全体を打ち付けた。