音楽なんかで世界は救えない

『Midnight blue』で必要な機材を回収した纏と律は、透花たちの待つ駅へと直行した。
 透花を含め、佐都子とにちかも改札口前で談笑しながら、待っているのが見えた。近づく律たちの影に気が付いたにちかが、おーいと声を上げて両手を大きく振っている。駆け足でその輪に近づくと、透花が首を傾けた。

「無事に回収できた?」
「まあ、何とかね」
「じゃあ、いったんここで解散か。透花ぁ、さぼんなよ!」

 佐都子がにししと悪戯っぽく笑う。負けじと透花も「佐都子もね」と返事を返す。その横で何か言いたげにプルプル震えていたにちかが、辛抱たまらん感じで勢いよく透花の両手を掴み、苦渋に満ちた表情で透花を真っ直ぐ見つめる。その勢いに透花は思わず片足だけ一歩後ろに下がる。

「すーーー……っごく! あたしも行きたい、行きたいけど……! でも、メメ先生に迷惑かけるの、嫌だから、我慢する。弁える読者で居たいし、負担もかけたくないから」
「う、うん」
「だから、代わりにもし……、伝えられたら、でいいから。言ってほしい。先生の漫画で、あたしは救われましたって」

 透花は目を見開いて、それから口元を綻ばせながら強く頷く。

「うん。伝える、絶対。約束する」

 その言葉を最後に、透花たちは電車に乗り込んだ。

 *

 夕刻を知らせる防災無線のチャイムが遠くから聴こえてくる。
 目的地であるツルミ写真館は、透花たちの家の最寄り駅よりもさらに2駅先にある、廃れた商店街の一角にある。透花の母方の実家であり、曾祖父の代から続く歴史ある写真館だ。透花が中学生の頃、祖父が亡くなって今は透花の母の兄、つまり伯父が営んでいる。
 お泊りセットとMV制作に必要な機材を両手に抱えた透花は、浮かない顔で何度目かわからない問いかけを、涼しい顔で横に立つ纏にした。

「……やっぱり、わたし、いなくても」
「何言ってんの。ここまで来て」
「う。だって、でもさ、」
「もう聞き飽きた」
「せめて纏くんも泊まろうよ……、ねっ?」
「僕一応中学生だし。親の許可が下りるわけないでしょ」
「この裏切り者ぉ!」

 都合の悪い時だけ中学生設定を持ち出して、纏は縋る透花の手を振り払った。今更ごねたところで、どうにもならないと分かっていても、透花は抵抗したくなってしまう。

「ほら、もう見えてきたよ」
「ああ、あれか」

 透花はいよいよ覚悟を決めなければならないときが来た、と暴れる心臓を押さえるよう胸の前に手を置いて、大きく深呼吸をした。

「……なにこれ」

 纏の困惑する声に、透花と律は互いに顔を見合わせた。

『諸事情により、休業中です。』

 そう掲げられた張り紙を前に、透花たちは立ち往生していた。窓ガラスから店内を覗き込むと、夕方だというのに明かり一つ付いていない。そのせいで壁一面に飾られた写真が少し不気味だった。窓から顔を離した律は、首を横に振った。

「駄目だ。誰もいなさそうだ」
「あークソ、事前に連絡入れてあったのにアイツ! 待って今、鬼電するから」

 乱暴にスマホをタップして、纏はそれを耳に当てた。透花と律が纏を挟むようにして、スマホに各々耳を近づける。数コール音の後、荒いノイズ音が電話口から聴こえてくる。

「オイ、夕爾お前どこにいる───」


「───ここだァアアア!!」

「うわぁあ!?」
「だぁっ!?」
「きゃ!」

 突如背後から、耳を塞ぎたくなるほどの声量が透花たちに襲い掛かる。思わず耳を押さえて縮こまった3人は、数秒後、笑いを堪えるような息遣いが聞こえてくることに気付いて、振り返る。
 夕暮れの赤に照らされる透き通るような白髪に、透花に似た少し藍色がかった瞳。ついに堪えきれなくなったのか、からから豪快に笑う姿はまるで年端もいかない少年のようだ。目じりに溜まった涙を指で掬い取って、彼は顔を上げた。

「はー、笑った笑った」
「……お前な」
「おいおい、会って早々説教は無しだぜ?」

 纏の苦言すら何のその。軽くあしらって、彼、笹原夕爾はにっと人懐っこく笑う。

「待ってたぜ、非行少年! それに、」

 夕爾の視線がすっと、律から自分に移動したことに気付いて、透花は思わず逸らしてしまう。しかし、夕爾は薄く笑って、言葉を続けた。

「久しぶり、透花」
「…………、うん」

 それが透花にとって、数年ぶりとなる、兄夕爾との邂逅だった。

 *

「一昨日くらい? 伯父さんが知り合いの農家から送られてきた米運ぼうとして、ぴたーって固まって。俺が慌てて救急車呼んだらどうもぎっくり腰だと。それで急遽、写真館は休業中になったってわけ。ああ、許可ならもう取ってあっから安心してくれ。伯父さんは夢ある若者の背中押したがりお節介おじさんだから」

 休業の張り紙に至った経緯を語りながら、夕爾は先頭を行く。律たちが泊まる場所は、ツルミ写真館───ではなく、ツルミ写真館と隣接する床屋との間にある、大人一人が通れるほどの細道を通って、その先にあった。

「お前らラッキーだぜ? 今、ちょうど大学4年の奴らが地元戻って、ツルミ荘には俺以外下宿してないから、実質貸し切り」

 細道を抜けると、そこにあったのは、ひと時代前へとタイムスリップでもしたのかと思わせるほど古い民家だった。その庭に咲く雪椿には、霜が降ってより一層幻想的な雰囲気を作っていた。苔の生えた石畳の上を慎重に歩く。夕爾は手慣れた様子で、ポケットから取り出した鍵を引き戸に差し込み、ごりっと音を立てて開けた。
 数十年ぶりにツルミ荘に足を踏み入れた透花は、妙にそわそわしながらあたりを見回す。それは律も同じのようだった。
 手荷物をすべて廊下に置き、ひと呼吸置いた纏がすくっと顔を上げた。

「よし。僕はこれで一旦帰るよ」
「え、もう帰っちゃうの?」
「帰ってやらないといけない仕事が残ってるし」
「そっか……」
「また明日、様子見に来るよ。伝えなきゃいけないこともあるしね」

 纏がわざわざ聞かなくても分かるほどには、透花の顔に不安の二文字が書かれていた。後ろ髪を引かれるような思いで、纏は透花に背を向ける。

「おい」
「なんだよ、って、っわ」

 纏は、ちょうど視線の先に立っていた律の肩を強引に組んで引き寄せた。バランスを崩した律の耳がちょうど、纏の口の高さに合わさる。律にだけ聴こえる声量で纏は囁いた。

「言っとくけど、抜け駆けしたら殺す」
「しねーよッ!」

 纏に何か囁かれた律が、弾かれた様に顔を赤らめて纏を突き飛ばすから、蚊帳の外になっていた透花は瞬きを何度か繰り返す。しかし、その二人の様子を同じく見ていた夕爾は、ああ、と何か察しがついたらしくぽんと手を叩いて、名案だとばかりに提案した。

「よければふたり、相部屋にする?」
「「結構です!」」

 今度は透花も沸騰するほど顔を赤く染めて、律と声を揃えて全否定したのだった。