音楽なんかで世界は救えない




『にちかちゃん、明日、お話しできませんか?』

 透花がその日の夕方、にちか宛に送ったメッセージに既読が付くことは、なかった。
 透花だけでなく、纏もまた、コラボは無かったことにしてください、というメッセージを最後に連絡が取れなくなっているらしい。

 バッティングセンターで別れたときのにちかは、そんな素振りを全く見せていなかった。むしろ立ち直ったように見えたのは、透花の勘違いだったのか。あるいは、『Midnight blue』での打ち合わせの中で律と何か衝突があったとしか思えない。
 そのことを透花は、電話で纏に告げることにした。

「ってことだから、たぶん……律くんと何かあったんじゃないかと思う」

 纏は電話口からでも聞こえるほどのため息をついた。

『……分かった。透花は明日、学校でにちかに直接会って説得してくれる?』
「もちろん、するよ説得。……けど、律くんは?」
『クソ律は僕に任せて』
「喧嘩しない?」
『…………それはアイツの出方次第だね』

 苦虫を嚙み潰したような渋い声で纏は言った。これは8割の確率で拳が飛ぶだろうな、と透花は苦笑する。しかし、敢えて止めることはせずに折衷案を提示する。

「分かった。ぐーは駄目だけど、ぱーなら許す」
『ぷっ。透花のそういうとこ、嫌いじゃないよ。分かった、ぱーね』
「うん。律くんのこと、任せたよ」
『そっちもにちかのこと、任せた』

 ぷつり、と電話が切れる。
 今は、律のことは全て纏に任せよう。 
 透花のやるべきことは、にちかを見つけ説得することだ。今はそれに集中することにした。



 芦屋にちかが同じ高校の、透花の一年先輩であることは知っている。

 しかしそれ以外、透花はにちかのことを何も知らなかった。けれど、あれほど目立つ容姿をしたにちかなら、透花の友人の誰かしら知っているだろう、という予測は大きく外れ、にちかの情報集めは難航していた。
 いよいよ、頭を抱えたくなったころ、意外な人物が答えを運んできてくれた。

「芦屋さん、って2年の?」

 帰りのHR終わり、透花が友人を捕まえて、聞き込みをしていたときのことだった。たまたま近くの教卓で集めたプリントを整えていた、担任の先生がそう問いかけて来たのである。

「先生っ、にちかちゃ、じゃなくて芦屋先輩のこと知ってるんですか!?」

 思わず教卓を挟んで、担任に詰め寄る。透花のあまりに必死な様子に半ば、身を引きながら担任は答える。

「え、ええ。2年の選択で、受け持ちのクラスに芦屋さんって子がいるわよ」
「何組ですか!?」
「3組だったと思うけど……、ああそういえば、ちょっと前に芦屋さんが第二、って笹原さんっ?」
「先生ありがとうございます今猛烈に急いでるので続きはまた今度!」

 担任の言葉を遮って、透花は教室を飛び出した。
 2年生のいる棟へと全速力で向かい、目的のクラスに辿り付いた。上級生からの好奇の目が突き刺さる居心地の悪さを感じながら、透花はドアの付近で屯していたにちかのクラスメイトに声をかける。

「あ、あの。すいません。にちかちゃ、じゃなくて、芦屋先輩っていますか?」
「えっ、芦屋さん?」

 話しかけられた女生徒は、透花の質問に少し驚いたように目を開いた。
 その反応に微かな疑問を感じながら頷くと、女生徒は隣にいた友人と顔を見合わせ、教室の方を振り返る。透花もつられてその隙間から見るが、あの特徴的なピンク色は見当たらなかった。

「あー、帰っちゃったかな? たぶん」
「……そう、ですか」

 透花は、落胆して項垂れる。しかし、どうやら学校には来ていたようだ。
 それならまだ希望がある。明日また来れば、もしかしたらにちかに会えるかもしれない。
 透花はお礼を言って、その場を立ち去ろう踵を返して───ふと、立ち止まった。

「あの、すいません」

 再び透花が話しかけると、小話をしていたにちかのクラスメイトのふたりはが首を傾げる。

「今日の芦屋先輩の様子どうでしたか? いつもより元気がないとか、すごく落ち込んでたとか……」

 特別、おかしな質問をしたわけではないはずだ。それにも関わらず、ふたりは怪訝そうに眉を上げ、釈然としない様子で答えた。

「別に、いつも通りだったけど。だよね」
「うん。……てか、芦屋さんいっつも暗いから、落ち込んでてもたぶん気づかないわ」
「あーそれな」

 嘲るような笑いが起こる。このクラスに来てから感じていた違和感の正体に、ついに透花は目を逸らすことが出来なかった。

「すいません、確認なんですけど……芦屋先輩って、フルネームは芦屋にちかで合ってます、よね?」
「うん」
「あのピンク色の髪が特徴的な」
「ピンクぅ?」

 あたかも透花が突拍子もないことを口にしたとでもいうように、にちかのクラスメイトは吹き出して、片手を思いっきり振った。

「いやいや。ナイナイ」
「きみ、誰かと勘違いしてない? 芦屋さん見た目、ちょー地味だよ。黒髪眼鏡のもっさい感じの」
「そうそう。だって、陰キャだもん」

 え、という透花の蚊の鳴くような弱弱しい声は、悪意を含んだ笑い声によって搔き消されてしまった。



 透花は、旧校舎へと続く渡り廊下をひとり、駆けていた。

 それを思い出したのは、本当にただの偶然だ。行く当ても無くなり、呆然と立ち尽くしていた透花が、ふと視線を窓の外に向けたときである。風に靡く白いカーテンが見えた。あの部屋は確か、旧校舎の三階、階段を上がって一番奥の───。

 透花は、思考が正解にたどり着くよりも先に足が動いていた。長い廊下を走り抜ける。三階へ続く階段までやってくると、透花の足音以外に僅かな音が耳を掠める。
 
 透花はその音を、知っている。聞き間違えるはずがない。
 
 二段飛ばしで階段を駆け上がる。音の正体に近づくほど、それはより輪郭を帯びていく。息苦しさすら覚えるようなか細く、透明とも半透明ともつかない、それでいて芯の通った歌が聴こえてきた。
 最後の一段を踏み、透花は荒く呼吸をしながら顔を上げる。向けた視線の先にあるのは、『第二音楽室』とプレートが貼られた扉だ。音は途切れることなく奏で続けられている。

 透花は、その扉を躊躇なく開けた。



「───団体行動初心者かてめえは。生きるの下手くそ過ぎんだろ」

 二の腕を組みさながら仁王像のようないで立ちで、こちらを一瞥し、冷たく言い放った第一声がそれだった。遅れてドアベルがからん、からん、と空しく鳴り響く。
 モップを手にしたまま、その姿を呆然と見上げていた律は、コンマ一秒ほどかけて我に返った。

「……纏」

 掠れた声でそう呼べば、纏は鼻で笑い飛ばしながら言った。

「昨日、にちかからコラボ止めるって連絡入った。お前、心当たりは?」
「……え」

 律は、思わず目を見開いた。揺らぐことのない確信を宿した双眸の、突き刺すような視線とかち合い、弾かれたように律は目を逸らした。

 昨日の夜からずっと、頭の中に再生されるのはあの涙だった。律が完膚なきまでに粉々にしたあの星屑の流れ落ちる様が、まさしく心当たりに他ならない。
 律は、何も言葉が出てこなかった。ただ立ち尽す。

「は~、だんまりか」

 足音が段々と近づいてくる。いよいよ、律の視界に纏のスニーカーが映る。

「被害者ヅラだけは一人前じゃん」

 それ以外は全部三流だけどな、と纏の吐き捨てるような毒が、槍となって律の胸を貫くような痛みが走る。

「さっき、店前でお前の叔父さんに会って全部聞いたよ、一昨日の夜のこと。……お前さ、何やってんの?」

 纏は、律からの返答を待つことなく続ける。

「誰がクライアントのプライドまでへし折れってつったよ? 挙句、計画全部ぱーだわ。お前のせいでな。……これで満足か? はは。よかったじゃん、これがお前の望んでた結末ってやつなんでしょ? お前がにちかの何が気に入らなかったのか知らねえし、毛ほども興味ねえし、聞くつもりねえし、同情とか死んでもする気ないけどさ」

 床を踏み抜くほど、纏の足が律に一歩大きく近づく。
 律が反応するより早く、伸ばされた手によって胸倉を強引に掴まれた。気道が閉まって、一瞬息が吸えなくなる。律の身体は大きく、ぐらついた。

「───いい加減にしろ。てめえにどんな辛い過去があろうがなァ! 他人で憂さ晴らししていい理由なんて、ひとっっつもねえんだよ!!」

 律は、息を呑む。
 逸らしたくなるほど曇りのない真っ直ぐな瞳から、しかし律は目が離せなかった。

 全て、正論だった。反論の余地なんて一つもなかった。
 にちかを捩じ伏せ、自分の方が正しいだろうと認めさせれば、それが律への贖罪になるとさえ思っていた。
 それが間違いだとすら気が付かないほど、律の怒りの炎は燃え盛っていたのだ。その炎で誰かを傷つけていい正当な理由など無い、という単純な事実を、律は忘れていた。

 律は、無意識のうちに乾いた笑いが零れ落ちる。

「……俺、どうしようもないクソ野郎だな」

 数秒ほど沈黙が続いた後、胸の息苦しさがすっと消えた。律から手を離した纏は、呆れたようにため息をついて掴んでいた右手をぐるぐる回している。
 そして、ふと顔を上げると、律に向かってにっこり微笑んだ。嫌な予感が駆け巡った、その瞬間。律の頬を熱い痛みが、ばっちーーーん! という衝撃音とともに破裂した。

「痛ってえなオイ!!」

 律は自分の頬を抑えながら、衝撃によろめいて数歩後ろに下がる。何食わぬ顔で平手をお見舞いしてきた纏を睨みつける。
 しかし、自業自得だと言わんばかりに纏は喉を鳴らして、いつも通りの悪態をついた。

「気づくのが遅えわ、クソ律」