車内アナウンスが流れる。
大きく電車の軋む音が響き、ブレーキ音が大きくなるにつれ窓の向こう側の景色がゆっくりと流れていく。停車した電車のドアが開く。が、乗車する客はひとりもいないようだ。
「……成し遂げたいなら、か」
夕焼けの冷たい赤が沈みかける宵の空を眺めながら、透花は無意識のうちに呟いていた。透花の隣で、欠伸を一つ漏らし大きく伸びをしていた佐都子が振り返った。
「んあ? なんか言った?」
「え? ……ううん。なんでも、」
我に返って首を横に振った透花は、しかし、心の奥底に残ったわだかまりを無視することが出来なかった。
膝に置いた両手を軽く握り、透花は意を決して口を開く。
「あのさ、わたしから誘っておいてなんだけれど……纏くんや佐都子は、どうしてITSUKAをやろうと思ったの?」
透花の脈絡のない質問に佐都子はきょとんと目を丸くした。先に口を開いたのは纏だった。
「は。そんなの決まってんじゃん」
膝の上に頬杖をついた纏が即答する。
「金」
親指と人差し指で作ったわっかが、いっそ清々しかった。
「ゆがみね~」
「逆に安心するね」
「ま、別に今すぐITSUKAの活動が金に直結するなんて、一切思ってないけどね」
「思ってないんかい。じゃあなんでやってんのよ?」
脱力した佐都子が問う。
不自然な間を開け、纏はほんの一瞬だけ横目で透花に視線をやる。が、すぐに透花から目が逸らされた。
「……実績作り、かな」
「実績ぃ?」
佐都子が眉を寄せた。
「社会に出たら万人に評価されるのは、過程じゃなくて結果でしょ。どうしたか、じゃなくて何をしたか。確かに金が僕の最終目標だけど、何も今すぐ最終目標を達成しなきゃいけないわけじゃない。てか、急になんて無理だし。目的さえ違わなければ、やりようは幾らでもある。そのうち一つの可能性を広げるために、ITSUKAをやる。……それがまあ、理由かな」
纏らしいな、と透花は腑に落ちる。
無意味なものや無価値なものを嫌う纏が、それでも創作という最も曖昧で形のないものを生み出すITSUKAをやる理由。誰かに評価されるための、その実績。
およそ、透花や律、にちかでは浮かびもしない理由だろう。
「……で、そういう佐都子は?」
すべてを語り終えた纏は興味なさそうに佐都子へ話題を振る。
「え、私? 私は、……うーん、別に纏みたいなしっかりした理由とかないかなぁ。将来やりたいことだって全然決まってないし。絵を描くのだって、単なる趣味のだし。強いて言うなら、その場の流れ?」
容量を得ない歯切れの悪い口調で佐都子が首を傾げる。
この世に存在しない未知の生物でも発見した冒険家の顔つきで、纏が小声で呟く。
「薄」
「うるっさい! あんたが特殊過ぎんの! 大概の中高生は私と一緒だっつーの。明日のこととか、未来のこととか、将来のこと考えるより、楽しいこと優先したいの! 青春は一瞬で終わっちゃうんだし、今を生きてるってやつよ。ね、透花?」
「わ、わたし?」
佐都子に同意を求められ、透花は慌てふためく。
試しに口を開くがそれらしい理由を、しかし透花は口にすることが出来なかった。
芦屋にちかが『ITSUKA』に入った理由は、誰かを救うための歌が歌いたいから。
有栖川纏が『ITSUKA』を入った理由は、将来の可能性の一つとして実績を作りたいから。
緒方佐都子が『ITSUKA』を入った理由は、ただ流されるままに青春を楽しみたいから。
なら、わたしは? と、透花は自分自身に問う。
きっかけは、律の曲を聴いて、描きたいと思ったからだ。描かずにはいられないと思ったからだ。だがそれは理由足りえない。
きっかけは動機にしか過ぎず、どこまで行っても所詮は、動機でしかない。
その点で言えば、透花と佐都子は似通っているだろう。
至極曖昧で、恥ずかしいほど幼稚で、等身大の今を生きる思春期のらしいといえば聴こえのいい、現実逃避でしかなかった。
しかし透花は、それでもいいと思っていた。
どこか自分を誤魔化しながら、あるいは目を背けながら、決して現実を見ることはしなかった。
けれど、それで、本当にいいんだろうか?
少なくとも。このままずっと続けばいい、だなんて、無責任な絵空事を描くだけでは、もう、いけないような気がした。
「わたしは……、わたしは、描きたいからやってた。わたしにはそれしかないから」
きっかけをくれたのは、全部律の方からだった。
一歩踏み出すには十分すぎるものを、透花は律に与えられた。
けれど、そこから先は透花自身の足で踏み出すしかない。
もう十分逃げた。逃げるための言い訳を探す無意味な逃避行は、そろそろ終わりにすべきなのだ。
「……けど、それじゃだけじゃ、きっと、駄目なんだ。それだけじゃ、きっといつか、わたしは後悔する。自分が選んだ道を許せなくなる。だから、わたしは、」
3月5日───ITSUKAが解散するまでに、わたしは見つけなくてはいけない。
(……わたしが創作をする理由を)
それぞれの想いを乗せて、停車した電車が動き始める。静かな夜の闇を切っていく。
ただひとり、取り残された感情があることにも気付かず、それでも電車は走り出す。



