音楽なんかで世界は救えない


 ランタンのぼんやりとした火の光があたり一面に広がっていた。地上に散りばめた星の海がゆらゆらと揺れている。

「律くん、こっちこっち!」

 異世界にでも飛び込んだような光景に目を奪われていた律は、自分を呼ぶ声にはっと我に返る。視線を前に向けると、溢れるような人ごみの中で透花がうさぎのようにぴょんぴょんと跳ねて手を上げている。
 透花の元にたどり着くと透花は興奮気味に仮設テントを指さす。

「見て、ランタンに願い事を書いて飛ばすんだって!」
「やる?」
「やる!」

 食い気味に頷く透花に律は笑いそうになる。受付の人に数百円を支払い、薄紙のドーム型のランタンと短冊を一枚受け取った。願い事を書いた短冊をランタンに貼り付けて飛ばすらしい。

 願い事。いざ短冊を前にすると、律はマジックペンを手にしたまま思い悩む。ちらりと隣を見ると、透花は案外すらすらと短冊に願い事を綴っている。

「なんて書いたの?」
「もちろん、『無事、MVが締め切りに間に合いますように!』」
「ふはは、それな」
「纏くんに聞かれたら、何寝ぼけたこと言ってんの? 締め切り通りに完成させんのは当たり前でしょ、って言われるだろうけど」
「似てるわ生意気な感じが」

 でしょ、と透花が得意げに笑う。
 透花と同じことを書こうかとも思ったが、結局律は全く違う願い事を書き綴ることにした。横から律に身を寄せるように覗き込まれていることに気付いた律は、思わず短冊を隠す。

「ずるっ! 律くんの願い事も教えてよ。わたしは教えたのに」
「内緒」
「けち」
「言ってもいいの? えっちなお願い事かもよ?」
「は!?」
「はは、うっそー」
「り、律くん!?」

 首まで顔を真っ赤にした透花が後ろで抗議の声を上げているのをBGMにして、律は空を仰ぐ。ランタンのリリースまで残り1分です、と雑音まみれの拡声器に通した声が遠くから聴こえてくる。

 さん、にー、いち、ぜろー!
 カウントダウンとともに手にしたランタンたちが一斉に解き放たれた。無限に広がる夜の運河に引き寄せられるように律の願いを乗せたランタンはどこまでも遠く、遠く、何のしがらみもなく自由に天へ上っていく。

「なんだか、ずっと夢を見てるみたい」

 譫言みたいに透花がそう呟いた。

「ここに律くんといることも、みんなで何かを作ってるのも、大変だけどすごく楽しくって、儚い夢みたいで、いつか消えちゃうんじゃないかって、ちょっと怖い」

 透花のほっそりした手が、飛んでいくランタンを追いかけるように伸ばされる。ただ何もない虚空をかくだけの指先がわずかに震えて、誤魔化すように柔く握る。

「創作なんて二度としない、って思ってたのに。……初めて律くんの曲を聴いて、どうしようもなく心が震えたの。ちょっとだけ、自分を許してもいいのかなって思えた」
「……夢じゃない、ちゃんと全部現実だよ」
「ふふ、そうだね。夢じゃない」

 音もなくひっそりと泣くみたいに透花は儚く笑う。透花の溶けそうに白い肌がランタンの淡い光に照らされて不確かに揺らめていている。

「ねえ、律くん」

 服の裾を軽く引っ張られて、振り返る。
 律は息を呑んだ。

「ありがとう、わたしを見つけてくれて」

 夜のすべてを飲み込むほど深く澄んだ青の瞳に、きらりと星が降るみたいに透明な雫が零れ落ちる。まるで、今この瞬間のために自分は生まれたのだと言っているようで、目が離せなかった。

 その時、律は理解する。
 幾度切り取っても色褪せない確かな青を、青春と呼ぶのだと。

 この胸を締め付けられるような痛みすら、残留してくれればいい、と律は思う。
 そうして、このまま。

「───このまま、ずっと続けばいいのに」

 呟いた透花の言葉が律の心に反芻し、嚙み砕くことすらできず律はくしゃりと顔を歪ませた。

「……透花」
「ん?」
「……いや。なんでも、ないよ」

 律の口から言葉は出なかった。代わりに出たのは、情けなく乾いた呼吸の音だけ。

 その願いだけは、叶えられそうにない。
 律だけが、この夢がそう遠くない未来に終わることを知っていた。