PCの時刻がすでに23:57を表示していた。
耳につけたヘッドフォンから流れるそれは、永遠と同じところばかりをリピートして、どうやら次の小節を忘れてしまったかのよう。
何の気力も、希望もなく、だらりと両腕を落として天井を見上げた。
残り、1分。
何杯飲んだか分からないコーヒーの苦さが舌に残留したまま、いたずらに脳だけは冴えわたらせてくる。誰でもいいから殴って俺を気絶させてくれ、と願わずにはいられない。
死刑執行まで、残り───10、9……5、4、3、2、1。
テテテン、テンテテン。
24時ピッタリにスマホから鳴り響く電話の着信音に、雨宮律はコンマ一秒にも満たない反射速度で通話を切断した。部屋が静まり返る。強張っていた身体が弛緩した。まるで大仕事でも終えたように安堵に胸を撫でおろすが、今度は間髪入れずに今度はメッセージの通知音が連投される。
『でろ』『無視したな?』『でろ』『でろ』『でろ』『後悔するよ』『でろ』『おい』『でろ』『でろ』『見てんのは分かってんだよ』分かってるよな?』『なあ』『寝たふりか?』『でろ』
『でろ』
『でんわ でろ』
「───怖えーよ!!」
『シカト決め込むからだろうが。クソ律』
電話口から聴こえてくる纏の暴言に律もすでに慣れつつあった。何せ、進捗確認として数日おきに連絡が入ってくるのだから、嫌でも慣れてしまうだろう。
結局ホラー映画ばりの脅しに負け、電話を取ってしまった律は頭を抱える。
今日は特に纏の電話をとるのをためらう理由があった。
『で、僕のスケジュールだと今日が曲の完成日だけど?』
「わはは」
『笑ってんじゃねえ。進捗どうなってるか報告しろ』
「あー進捗ね? ウン、順調順調!」
『お前の言葉は信じない。送れ』
「ほんとに? 怒んない? ぜーったい暴言なしだからな?」
『怒んない』
「ほんとのほんと?」
『あーハイハイホントホント。怒らないから早く送れさもないとぶち切れるぞ』
「初っ端から矛盾しとる……」
これ以上引き延ばすわけにもいかないだろう。律は言われた通り、音声データを纏に送る。すぐさま既読が付くと、纏が再生していることが電話口からも伺えた。
そしてすべてを再生し終えると、抑揚のない声で纏は言い放つ。
『僕の気のせいかな? 二日前聴いたときから、いっっっさい変わってない気がするんですけど?』
想定済みの台詞に対する返答を律はあらかじめ用意していた。
「いや、よーく聴いてみ?」
『……はあ? 一体どこが変わったんだよ』
「イントロのキーボードに強弱付けた」
もはや返答さえ寄こさなかった纏の機嫌をこれ以上損ねるわけにはいかず、律は即座に「冗談言ってすいませんでした」と謝った。
✳︎
『───と、色々茶々入れてきたけど。ここまでの進行の遅れはまだ想定内。まだ巻き返せる』
数日に一回、深夜に開催されるオンライン進捗確認会は、今宵も纏の独壇場だった。
纏のPCから画面共有された、エクセル表のスケジュールには事細かく進行と日付が書き出された。もちろん、スケジュール通りに進んでいない律の表は真っ赤に塗りつぶされていたが。
纏の計算ならまだ間に合う想定だと知り、律は脱力した。
「あー、ひとまずよかったー」
『よくねえ! クソ律、お前の製作遅れは進行に直結すんだよ! せめていい加減、歌詞を決めろ。特に重要なサビが決まんないと、動画制作に差し障んだよ! 後々お前の尻ぬぐいする僕と透花の苦労を考えろ!』
「はい……」
年が4つほども離れた中学生からまともに説教を食らって、反抗できずに撃沈する。
今回応募するMV賞の規定は、2分以内のショートMVが条件だ。
つまり、曲の構成としてはイントロ、Aメロ、Bメロ、サビで終わる。現在律はAメロまで作曲し、肝心なサビの歌詞と盛り上がり部分で行き詰まり、一向に進んでいない状況である。時間にして約30秒程度、完成形の約3分の1までしか出来ていないのだ。
『まあまあ、纏くん。あんまり追い込んでもスピードが上がるわけじゃないからさ』
「と、透花ぁ」
フォローに回る透花の優しい声音に律は思わず涙が零れそうだ。連日の徹夜で完全に律の情緒がぶっ壊れていた。
『透花も他人事じゃないけどね』
『へ?』
『へ? じゃないから。透花はSNSに乗せるロゴの締め切りが近づいていることお忘れじゃないだろうね? それにクソ律の作曲が完成するの待ってたら締め切りに間に合わないから、同時進行で絵コンテもやんなくちゃならないんだけど? 分かってる?』
『……あい』
「全方向に辛辣だなお前」
こほん、と咳払いした纏は指示を出す。
『とりあえず透花、今できてるやつのコンテ送って。秒数ズレても修正する暇がないから、クソ律と調整して。クソ律はあと3日で曲を完成させろ。僕はまだ仕事が残ってるからもう抜けるよ』
『……頑張ります』
「りょーかい」
ぴろん、と軽快な音で通話画面から纏のアイコンが消える。
取り残された律と透花が、同じタイミングでため込んだ息を吐きだしたのが聞こえてきて互いに吹き出した。
「お疲れ、透花」
『律くんもお疲れ様』
Midnight blueの一件から、透花は徐々に律のことを名前で呼び、気安くため口で会話するまでに前進した。
「俺、纏から電話掛かってくるとめちゃくちゃ心臓バクバクする」
『あはは、律くんパブロフの犬みたい。わたしも人のこと言えないけど』
「纏がいないと、絶対こんなスムーズに進んでないから何も言い返せない。くそー」
中学生とは思えないほど纏の指示は的確で、宣言通り創作以外のすべては纏が担っている。特に時間にルーズな律と、こだわりが過ぎる透花を上手く転がしてスケジュールを調整する能力は圧巻だ。透花とふたりだけだったらまず、計画が破綻していただろう。
律は机に額をごん、と乗せた。透花にしか聴かせられない、弱気な声が漏れる。
「あーサビどうしよ。マジで全然思いつかん。助けてとーかぁ」
『ふふ、お困りですか?』
「うん。頭ン中ぐっちゃぐちゃ」
『では、息抜きなどいかがでしょう?』
「息抜き?」
あくびを噛み締めながら透花に問いかけると、心なしか声を弾ませながら透花は言った。
『明日の土曜日、わたしと青春しませんか?』



