徳山君が目に入ったのは偶然だとしかいいようがない。
 徳山君は元彼とは走る距離が違う。必然的に走り方も変わってくる。全力疾走の短距離、力の配分の難しい長距離。そのどちらにも属していて属さない中距離。徳山君のフォームは綺麗で無駄がなかった。

 私は次第に徳山君を見るようになった。徳山君をというより、徳山君の走る姿を。見ているときはすべてがスローモーションのように見え、時間がゆっくり流れているかのように感じられた。それは今の私にとっては心地よいことだった。


 ある日、部活が終わったようなので帰ろうとすると、

「ずっと練習を見ていますよね?」

 と、徳山君に声を掛けられた。

「……」
「陸上好きなんですか?」

 徳山君の声は高めで、スポーツ刈りをした髪は日にすけて茶色に光っていた。そして、色素の薄い優しい瞳をしていた。

「すみません。以前、泣きながら見学されてたので、気になって……」
「うん。でももう大丈夫。大丈夫なの。あなたはとても綺麗な走り方をするのね」
「え? 恥ずかしいなあ」

 徳山君は照れたように視線をうろうろさせた。

 可愛いな。

「あの、先輩? ですか?」
「そう。二年」
「お名前は?」
「木崎 りり」
「僕は徳山 誠人といいます」
「よろしく。今日も練習お疲れ様。じゃあね、徳山君」

 ーーもう人を好きにはならない。だからこの距離ぐらいが傷つかなくていい。なんて都合のいい、名前のない想い。