(また小春に「好き」とも、「愛している」と言えなかった)

 ノンレム睡眠とレム睡眠の狭間で微睡みながら、俺は考える。
 ようやく小春に想いを告げて、指輪を渡せたに羞恥が勝ってしまった。せっかく言えるチャンスだったにも関わらず。
 日本に帰った時に指輪と共に伝えようと思っていた言葉。この四年間、大切に自分の中で温めていた。次こそは言おうと決めていたのに――。

(いや、起きてから言えばいいか。これからはずっと一緒に居られるのだから――)

 子供の頃、言葉には「言霊」が宿ると祖父に教えられた。おそらく、怒るとすぐ感情的になる俺を窘める為に教えてくれたのだろう。それ以来、俺は言葉が持つ重みについて考えてきた。
 実際に大人になり、弁護士を目指す過程でも、裁判中の誰かの些細な発言から裁判の流れが変わったという話を聞いた。実際に弁護士として法廷に立つ様になると、その場面に遭遇するようになり、自分の言葉がきっかけとなった事もあった。
 そんな言葉が持つ意味を目の当たりにしてきたからか、なるべく言葉には気をつけてきたつもりだった。
 特に小春については――出会ったばかりの頃の小春については、慎重になっていた。俺が言った言葉がきっかけとなって、また自殺に走られたらと思うと、胸が苦しくなる。あの頃の小春は、それくらい危ういところがあった。
 そうやって、常に慎重になっていたからか、自分の想いを伝えるのが随分と下手になってしまった。「好き」、「愛している」と自分の想いを口にするだけにも関わらず、この言葉を本当に相手に言っていいのか、相手を傷つけ、困らせはしないのかと、深く考えてしまう様になった。子供の頃はそんな事を考えずに、自分の気持ちを素直に伝えられたのに――。

「小春……」

 手探りで傍らを探るが、そこに愛する妻の姿はなかった。恐る恐る目を開けると、朝陽が差し込むベッドルームには俺一人しかいなかった。

「小春?」

 掠れ声と共に室内を見渡すが、代わりにその返事に答えたのは外で鳴く鳥の声だった。

(もう起きたのか……?)

 ベッドサイドのスマートフォンで時刻を確認すると、起き出すにはいつもより早い時間帯だった。スマートフォンと一緒に置いていた眼鏡を掛けて部屋を出る。
 いつもなら洗濯機の回る音や、包丁やフライパンなど朝食を作る生活音が聞こえてくるリビングルームさえ、今は静寂に包まれていた。
 それどころか、一人で暮らしていた頃の様に、自分以外の人の気配が全く感じられなかった。