恋の誘導尋問~恋に不器用な先輩に捕われたい~

「ありがとうございました」

 車から降りて一応礼を言い、踵を返して逃げるようにマンションに向かいかけた瞬間、

「笑美!」

 声のした方を向くと、忘れたくても忘れられない声の持ち主が、夕日を背負って現れた。その存在を目の当たりにしたと同時に、震える唇で彼の名を呼ぶ。

「弘明…なんで、なんでここに?」

 胸に抱きしめていた鞄が、手からするりと落ちて、無機質な音を立てながら地面に落ちる。

「やっと見つけた。置手紙を残して、出て行くなんて驚いたんだぞ。もう怖いことしないから、やり直そう?」

 夕日をバックにしているせいで、表情が暗くて見えないため、余計に恐怖心が増していく。

「や……」

 固まって動けない私の前に、澄司さんが立ちはだかった。

「笑美さんの元彼さんですか? 残念ですけど、今は僕と付き合っているので、復縁は無理です。諦めてください」

「なんだと!?」

「ただで諦めてとは言いません。一千万円でどうでしょうか?」

「は? 一千万?」

「そうです。僕が所有する株やそこにある車など財産をすべて売れば、それくらいの額を貴方にお支払いできるという話です」

「笑美がおまえみたいな金ヅル捕まえるとはな。喜んでその話――」

(どうしよう。ありえない金額を提示して、澄司さんは私を縛りつけようとしてる……)

「受けるワケねぇだろ、バーカ! 黙って笑美を寄越せ!」

 低レベルと言える最低な者同士の争いに、思わず頭を抱えた。自分ではどう考えても対処できない現実から、目を背けたくなる。

「もう嫌だ……」

 絶望で嗚咽を漏らしかけたそのとき、パチンという金属音が辺りに響く。嫌な予感がして澄司さんの背後から窺い見ると、弘明がサバイバルナイフを手にしていた。

「そこを退いて、とっとと笑美から離れろよ」

「笑美さん、遠くに逃げてください」

「ひゃ110番……警察に連絡」

 ポケットからスマホを取り出し、急いで電話をかけようとした。

「そんなのいいから、早く逃げて!」

 私の体を押して逃がそうとした澄司さん目がけて、弘明がナイフを振り上げる。もしかしたら、私を狙ったのかもしれない。刃先が夕陽に当たり、怖いくらいに光り輝いたのを目にしたら、足が竦んで動けず、呼吸すらままならなくなった。

 まるで幕が降りたように、目の前が真っ暗になる。次に意識を取り戻したときは、見知らぬ天井が目に入った。