甥の青藍(せいらん)は生まれた時から体が弱く、2歳の時に乳幼児喘息と診断された。
母に預けて仕事に行くには青藍が心配で、また青藍も義姉から離れなかったため、仕事は辞めざるを得なかった。

そこで私に白羽の矢が立った。

元々私は、桐野屋には入らず、好きなことをしていいと言われていた。いずれ嫁ぐのだからと。

だから、学芸員を目指し、それがダメでも和カフェを作ることを目標に頑張ってきたのだ。

しかし……

「撫子しかいないんだ。
申し訳ない。
青藍の喘息が落ち着くまで、桐野屋に入って欲しい」

と、兄に言われたら引き受けざるを得ない。
家族のためだもの。
カフェでアルバイト予定だった私には

「就職先が見つかって良かったわ」

と言うしかなかった。

桐野屋呉服は、親族と、代々仕えてくれている少しの社員とで成り立っている、小さな会社だ。排他的な小さな会社では、桐野の名と血筋が最も重要視され、その次に着物の知識となる。

私ならそのどちらも兼ね備えている。
だから、本当に私しか代わりになる人はいなかったのだ。

始めたばかりのアルバイト先に断りを入れ、私は桐野屋呉服店に就職することになり、現在に至る。