そう。私にはもう一つの夢があった。
卒業後、管理栄養士の資格を取って、働きながら資金を貯め、和雑貨屋併設の和カフェを作ること。
それが私の長年温めてきたもう一つの夢だった。 

学芸員を諦めた後、資格取得の勉強を続けながら、どこかのカフェでアルバイトをして資金を貯めようと思っていた矢先のこと。
実家で問題が起こる。

私の実家は代々桐野屋呉服店を営んできた。
しかし、着物離れが進んだ現代では、顧客を繋ぎ止めるも、先細りが激しく、私が物心ついた頃からは、着物のレンタル業を主としていた。

兄と義姉は、その仕事が縁で結ばれた。

義姉の実家は、国内で大手のレンタルドレスメーカー、バンケットクローゼットを経営している。

義姉はバンクロの長女で、今は弟さんが跡継ぎとして専務の任に就かれていた。

バンクロと桐野屋呉服店の業務提携は、お互いの弱いところを補い合う形で、成長していった。

バンクロで有能な営業担当だった義姉の弓子さんは、結婚後、桐野屋呉服店でその腕を発揮してくれた。
しかしそれは2人目ができるまでの話。

姪の次に甥が生まれると、仕事に復帰することが困難になったのだ。