俺は服部を家まで送り届けたその後すぐに美琴に連絡を入れた。数回呼び出し音が鳴り、美琴の声が聞こえた。

『もしもし!!竜生くん、亜美ちゃんちゃんと帰れた?』

 電話の向こうで美琴がしているであろう焦った顔がありありと浮かぶ。素直に感情を出せるところ、前向きで色々と寛容なところ、やっぱり大好きだと思った。だからこそ一緒にいられないのだ。
 大切だから一緒にいられないなんて、漫画やドラマの世界だけだと思っていた。よくよく考えてみれば俺自身が稀有な存在なのだ。それに比べたら、好きだけど離れるという選択はこの世の中にはありふれているのかもしれない、と思った。

「あぁ、ちゃんと帰れたよ。今日ありがとな、助かったよ」
『ううん。私の方こそ呼んでくれてありがとう。知らずにいる方が辛かった』

 そう言い切れてしまうキミが好きだ。俺は溢れ出てきそうな感情を必死で抑え込んだ。

「森脇くんは?まだ側にいる?」

 答えを聞くことが少し怖かった。だけど美琴はあっけらかんと『もう帰らせたよー』と言うのだ。そして俺は心底安堵する。そんな必要はもうないのに、だ。

「そうか……。美琴、こんな時になんだけど、クリスマスイブ会わない?」
『あ、会う!会いたい!絶対会う!』

 声を弾ませた美琴に俺は心の中で「ごめん」を繰り返す。美琴にとってその日は最悪なクリスマスイブになるだろう。
 だけど俺はそれを望んでいる。クリスマスイブに別れを告げることで、この先その日を迎えるたびに俺のことを思い出してくれたら、なんて。どれほど残酷で卑劣な行為だろうか。
 それはわかっている。だけど俺は、いつか思い出としても扱ってもらえなくなることが恐ろしかった。それなら忘れられないように深く傷跡を残したい。ただそう思ったのだ。


 家に帰ると母さんが「遅かったわね」と出迎えてくれた。歩いてくる、とだけ告げて家を出て行った息子が中々帰ってこないものだから、心配していたのだろう。
 「ただいま」と言った俺に母さんは「そうだ!冬休み、美琴ちゃんを家に連れ来てよ!」とお願いをしてきた。どうやら一緒に蟹を食べたいらしかった。美琴なら喜んで来てくれるだろう。だけどそれは付き合っていたら、の話だ。

「美琴とは別れる」

 俺の言葉に母さんは言葉を失っているようだった。そりゃそうだ。吸血鬼の末裔だと打ち明けて、あまつさえ吸血行為までさせてもらってる相手だ。母さんは自分たちがそうしたように、俺たちも結婚するものだと思っていたのだろう。

「なに?あんた何かしたの?」

 割と無神経なところがあるからね、と母さんは付け足した。今そんなこと言わなくても、と思ったが、怒る気力すら俺には残ってなかった。

「宿命の女だった……」
「……え、しゅくめい……え!?美琴ちゃんが!?宿命の女だったの!?」

 母さんの大きな声に、何事か?、と父さんまでが廊下に出てきた。勘弁してくれ、と思ったがニ度説明することを考えると、一度で済むならその方がいいかと思い直した。

「まさか……ちゃんと確認したの?」

 母さんは、信じられない、とでも言うかのように俺が告げた事実を疑っている。だけどその気持ちは痛いほどわかる。俺も、まさか、と思ったのだ。宿命の女だなんて存在、実在していても出会ってしまうだなんて想像もしていなかった。だってこの世の中に何人の人間がいると思ってんだ。
その中で俺の好きになった人がピンポイントで宿命の女だったなんて、そりゃ信じたくない。俺が一番信じたくない。

「した。美琴の傷の治りがやけに早い。それに身体能力があがってる。これは確実」

 確認した事実を告げると、やっと話の流れを把握した父さんが息を飲んだ。

「俺には美琴と逆のことが起きてる。俺の傷の治りは遅くなってるのに、美琴につけた傷は相変わらずすぐ治る」

 自分自身に傷をつけ、何度も確認してきたことだ。そして少し前にカラオケルームで美琴の傷の治りも確認した。確実に美琴の体自体が変わってきてる。吸血行為を始めてたった4ヶ月であの変化だ。俺は恐ろしかった。俺が美琴を変えてしまう。しかも取り返しがつかない方にだ。そんなことあっていいはずがない。

「こんなことが起きるって聞いたことある?母さん」

 俺は今どんな顔をしているのだろう。俺を見ている父さんと母さんの顔が悲しみに歪んだ。
 

 俺も母さんも世間一般で認識されている吸血鬼とは違い、不老不死でもなければ太陽に当たって死ぬわけでもない。十字架も怖くないし、ニンニクだって食べられる。ただ、人より傷の治りが早い、体液に治癒物質が入っている、身体能力が高い、そして吸血欲求があるというだけだ。
 また、俺たちがいくら吸血しようとも、相手が吸血鬼になるということはなかった。ただしそれには例外があった。それは相手が『ファム・ファタール』いわゆる宿命の女ではなかったときのみだ。
 相手が宿命の女であった場合、こちらの力がなくなってゆき、相手が吸血鬼化するというのが伝えられていたことだ。だけどその存在こそが伝説のようなもので、会うことはないだろうと聞かされてきた。だけど実在していたのだ。今思えば吸血したときに起こる頭痛もその片鱗だったのかもしれない。


「美琴ちゃんにはそのことは言ったの?」

 母さんは言いにくそうに言葉を紡いだ。言うわけないだろ。だって美琴だよ?美琴は絶対「それでいいよ!」って笑う。「竜生くんの側にいられるなら、私吸血鬼になるよ!」って絶対言うんだ。そんなこと俺がさせない。
 周りのみんなに大切に大切に想われている美琴。そんな俺にとっても大切な美琴を、俺自身がこちらに引き摺り込んでいいはずなどなかった。

 なにも発しない俺を見て父さんと母さんはもうなにも言わなかった。「ゆっくりお風呂に入っておいで」と2人に抱きしめられて、俺は静かに頷いた。

 一つだけ言えなかった。それは服部亜美の存在だ。恐らく彼女は『運命の女』だろう。母さんにとって父さんがそうであるように、この世には相性の良い血を持った相手が何人か存在するらしかった。
 運命の女の血を飲めば吸血鬼としての能力が上がる、とされている。母さんは「そんなことないわよー。ただの噂ね」と笑っていたけれど。
 それでも「お父さんは特別」と俺に教えてくれたことがある。血の匂いからして他の人とは違うらしい。「私はこの人と出会うために生まれてきたんだと思うほどの幸福よ」と幸せそうに細めた瞳を忘れられない。
 そんな人が俺にも居ると、そして相手は今も俺のことが好きだと。その事実を告げれば父さんと母さんはどんな反応をするだろうか。美琴のことは忘れて服部と結ばれた方が幸せだと言うだろうか。
 俺にはそれが耐えられない。言わないにしても、頭の隅でもそんな風に考えられることが耐えられない。だって俺の唯一は美琴だ。俺の運命の人は明石美琴なのだ。