教室に戻るとみんなはお化け屋敷の製作を進めていた。トンネル型に形成した段ボールに黒色のゴミ袋を貼っている。

 

 1年7組はお化け屋敷をするのだが、コンセプトは西洋のお化け屋敷、ヴァンパイア城なのだ。
 それが決まったのは少し前の学活の時間だった。最初は白装束を着たお化けが出てくるものにしよう、と話が進んでいたのだが、突然白岡さんが「吸血鬼モチーフはどうですか?」と発言したのだ。ちなみに言っておくと、白岡さんとは清田さんの仲の良い友達で、体育祭で私に玉をぶつけてきたあの子だ。
 私は吸血鬼という単語にどきりとした。竜生くんがどんな表情をしているのか、そちらを見ることもできなかった。
 みんなはその提案を聞いてすぐは、いまいちピンときていなかったようだ。「洗井くんにドラキュラの格好で受付してもらったら人気でそうじゃない?」と白岡さんの意思を継いだように平松さんが発言する。ちなみにこの平松さんも……以下略。
 その平松さんの発言を聞いて、クラスの雰囲気が一気に賛成に傾いたのを肌で感じた。
 「いいじゃん!洗井めっちゃ似合いそう!」と男子が囃し立てる。クラスのそこかしこで「たしかに!」「絶対かっこいいよね」という声が聞こえる。これは竜生くんが断れる雰囲気ではなかった。

「どうかな?洗井くんのことはとりあえず今は置いておいて、ドラキュラ城のコンセプトに賛成の人は手を挙げてほしい」

 学活の場を仕切っていた学級委員長がそう発言した。私は竜生くんが手を挙げたことを確認してから、倣うように挙手をした。

 その日の夜の電話で「大丈夫なの?」と聞けば、竜生くんは「全然平気だけど」とあっけらかんと言い切った。

「俺が吸血鬼の格好をしても、まさか俺が本物の吸血鬼だと思う人はいないだろ?」

 言われてみればその通りである。どうやら私が過剰に心配していたみたいだと、胸を撫で下ろした。



 段ボールに黒色のゴミ袋を貼りつけているのは光を完全に遮断するためだ。当日は教室の窓にもゴミ袋を貼り、遮光カーテンをつける手筈になっている。それだけでは真っ暗にできないので、学習机を並べて作った通路に、ゴミ袋を貼ったトンネル型の段ボールをくっつけて、お客さんにその中を通ってもらうことになった。狭くて暗いところは必然的に恐怖心を煽る、ということらしい。

 あちらでは体育祭の衣装係と同じメンバーが、竜生くんの吸血鬼の衣装の仕上げに入っていた。

「洗井くん!ちょっと羽織ってみてくれない?」

 衣装係リーダーの羽田さんの声にクラスのみんなが作業の手を止めて、そちらを見た。私も教室の扉の前から竜生くんを見つめた。
 竜生くんが衣装を肩からかけると、裏地の赤を見せつけるように、真っ黒な生地のマントがふわりと揺れた。
 「すっげぇ」と呟いたのは誰だったのか。その声を皮切りに、静まり返ったクラスが一斉に沸く。みんなが竜生くんの周りに集まり、「かっこいい」「似合ってる」と彼を褒め称えた。

「行かなくていいの?」

 その光景をただ見ていた私のところに亜美ちゃんがそっと近づいて、そう囁いた。近づきたい、今すぐ触れたい。だけどそうしてしまうと、なんだか泣いてしまう予感がしたのだ。
 私は首を横に振って否定の意を表した。

「ねぇ、かなえもおいでよ!洗井くんやばいよ!」

 白岡さんが私たちの方に向かって叫んだ。方向は私たちだが、視線は私の後方に向かっている。人の気配を感じ、くるりと振り返れば、そこには清田さんが立っていた。
 私の脇を清田さんが跳ねるように通っていく。「他のクラスの子は部外者なんだから」という否定的な意見は声にならなかった。亜美ちゃんが「はぁ?なにあれ?」と嫌悪に顔を歪めたのを見て溜飲が下がったなんて、私かっこ悪い。

「わ、ほんとかっこいい!本物の吸血鬼みたい」

 語尾にハートが付いていそうな話し方は、素直に可愛いと思う。彼女たちは私の存在に気づいていながら、それを無い物として扱っているみたいだ。教室の空気が私を気遣うような、なんとも居た堪れないものに変わっていく。
 
「ありがとう。けど清田さん、クラスの方は大丈夫なの?俺らも作業あるし、気をつけて帰ってね」

 有無を言わせない竜生くんの笑顔に、清田さんが「う、うん。そうだね。衣装が完成したら見せてね」と動揺しながらも笑顔を見せた。
 「本番当日にね」とさらに笑みを深めた竜生くん。竜生くんって本当に……最高だな!!
 波風を立てることなくその場を収めた毅然とした振る舞い。その間私に気づいていながらも、矛先が向かわないように私の存在に触れてこなかったこと、その気遣い、きちんと伝わってきたよ。
 言葉で「好き」だと言われたことはないけど、わかる。私は竜生くんの特別だと。
 以前、亜美ちゃんが竜生くんのことを「誰に対しても愛想笑い。気さくだけど壁を作ってる」と評していたことが思い出された。その時はわからなかった。だけど、今は身を持って感じている。私とそれ以外の人への接し方、向ける笑顔の種類が全くの別物だと。竜生くんは私のことを好きでいてくれてる、と自惚れてもいいだろうか。

「美琴!委員会お疲れ!これ、どう?」
「うん……かっこいい……」

 清田さんが教室を出るとすぐ、竜生くんは私の元へと駆け寄ってきた。その笑顔が幸せしか詰まっていないかと思うほどあまりにも清らかで、吸血鬼を模して作られたマントとあまりにもちくはぐで、それが嬉しくて、可笑しくて。

 好きだと、心の底から好きだと、思った。ずっと一緒にいたいと思った。
 それは幼さ故の青臭い願いだったのかな。何も知ない子供だったから、心の底から願って信じていられたのかな。

 竜生くんは私の笑顔を見て、また幸せそうに笑った。