そんな葛藤を抱えていたある朝、何時もだったら
ベッドからとっくに出ている筈の一那が私の身体を
後ろからしっかりホールドしている朝を経験した。

自分の心臓の音が外に漏れてしまっているのではと
焦るが落ち着くとそのリズムは一那とあり得ない
ほどにピッタリと狂いも無く刻み、とても心地良いが、
もしかしたら心地よいのが同じなら一那も私と
同様に心が痛いのでは?とフト、思い至る。

今までの私は被害者意識丸出しで、一那の事を許す、
努力すると口にはしていても実際は自分だけが
傷ついたんだと、何処かに許さなくても
責められないと狡い考えを持っていたかもしれない。

お風呂場の鏡に映る身体に着いた無数の傷跡が
嫌でも目に入るとその考えは増していき、
姉の身体は真っ白で傷一つついてない事を思い浮かべ、
臍を噛み、妬んでいた。
この傷がある限り私はもう、他の誰とも恋なんて
二度と出来ない理不尽さに、鏡に映る姿に絶望し
その度に口の中に血の味が広がっていた。

私は見える部分にも見えない部分にも傷を負ったけれど
一那だって見えない部分が傷ついて
いるのではないだろうか?
そもそも夫婦なのに契約制なんて提案した私。
万が一、この案を一那から持ち掛けられたら
落ち込んで立ち直れない。

信頼関係が崩れたんじゃない、
元々 私達はお互いの見えない影に怯え、
大事な事を疎かにして信頼関係を結ぶ努力を
怠っていたのではないだろうか?

「信頼関係が崩れたから離婚しかないんです。」

浮気された人も、一見、離婚する明確な理由が
無い人でさえも 判で押したように、
多くのクライアントが"信頼関係”がと口にする。

若輩者の私はそれを常套句だと受け流して来た。
浮気された時点で信頼関係なんて
無くなっているじゃないか、それを許せないと
片付けるのでは無くて、オブラートに
包んでいるだけでは?
なんて何処かで思っていた。

私達の結婚生活は一那の努力によって
成り立っていたのかもしれない。
先生との別れの後に連れ出してくれたのも一那。
何時も、私の行きたい所に連れて行ってくれ、
司法試験の勉強で一杯一杯だった
私のガス抜きをしてくれていたのも一那。

働き始めて家事なんて出来ていないのに、
困らない様にハウスキーパーさんや
料亭の仕出しをさり気なく用意してくれていた。
一那が仕事が忙しくても何時も私を慮って
くれていたから成り立っていた生活だった事に
今更ながら気がつくなんて・・・
私は何処までも一那に甘え享受される事が
当たり前だと思いながら暮らし、
足りないと責めたてている。

傲慢だ!

その優しさに甘え、感謝の言葉を、態度を
表現するのを怠っていたのは
わたしだ。


私も変わらないと・・・未だ20代。
考えたら結婚している友達の方が少ない、
自分の思いのまままに行動して一那に嫌われて
見捨てられ離縁させられてシングルになっても、
手に職もある、帰る実家もある
人生80年の1/4を過ぎたばかり・・・
一那を失ってから後悔しよう!
一那に拒絶されてから未来を嘆こう!
1人で歩く未来を模索するのじゃなくて
一那と歩む未来を描こう!

一那の腕の中で脳内で自分の考えを完結させたら、
その腕から抜け出すのではなく、廻された腕に
手を重ね、久々に感じた温もりと、
触れた熱で急に睡魔が襲ってきて、
この感覚好きだった・・・だから自然と

「   すき    」

口にしたのは夢か現か