「月が綺麗ですね。」
その言葉に何故か心が抉られる。誰を想って口にしているのだろう?
以前だったら自分に向いていると思う言葉がアイツに向いているのではと
考えてハッとする。
さっき、柚菜が口にしたのはこういう事なのだと漸く理解出来る
今では会っていないだろうから実態のない過去の亡霊の
アイツに怯える俺。
実態の有った香菜という存在がどれほど柚菜の心に
暗く影を落としていたのだろう。
そう考えると土下座や謝罪くらいでは許されないのも、
理解出来たような気がしたがそれは頭で理解出来るだけで、
心は理解出来ない。そんな簡単に諦められない。
俺の罪、香菜の罪、沢山の黒い感情に今、
柚菜は呑み込まれてしまいそうで怖くて踏ん張っている姿。
本当は怖くてそこで震えている柚菜を抱きしめる勇気は自分の中に
殆ど残っていない。
もし、これで拒絶された木端微塵になりそうだけれど、
柚菜の恐怖が手に取るように理解してしまった自分がここで
手を伸ばさないと二度と触れる事は出来ないと本能が叫ぶ。
今朝、家を出る時には普通に出来た事が出来そうになくて
恐怖で足が震える。
信頼を失うのは一瞬なんだと幼い時から加瀬グループを
引き継ぐことが決まっていた俺に呪文のように父が口にしていた
言葉が今更、頭に浮かんだ。
仕事だけじゃなくて家庭でも同じ事だと…気付くのが遅すぎる、
全てが後手後手に回っているのは否めない
だからこそ此処はと思って恐る恐るその細くて華奢な肩を抱き寄せた。
一瞬、身体が強張ったが、気がつかないフリをし、
更に自分の腕の中に閉じ込めた。
後頭部を右手で抑え自分の胸に強引に引き寄せると諦めたのか、
それとも少しの情は残っていたのか柚菜の身体から少し力が
抜けたのが肩に置いた左手から伝わる。
左手を背中に落とし、寝る時にするように一定のリズムで擦る。
『大丈夫だ、大丈夫だ』そんな言葉をそのリズムに乗せて
伝えるかのように・・・
その言葉を含む擦る動作は柚菜に対してだけではなく
自分にも言い聞かせたくて。
壊れそうな柚菜、壊れた関係を必死に拾い集めようとしている俺達の
空間を香菜の声が 前は何も感じなかったのに今はその声さえも
耳にしたくないのに
「柚菜が中学生の時にカズ君にした浅はかな考えのキス、約束、
社会人になってまで少し困るとカズ君に頼ってしまって、
そんなお願いを家庭を持っているのに、幼馴染で
お兄ちゃんの立ち位置で断らないのを知っていて
頼ってしまってゴメンなさい。
自分のパートナーが同じような理由で私以外の女性と
逢っていたら、嫉妬で狂いそうだと今なら考え知る事が出来たのに
柚菜、カズ君 2人がくっつくのが遅かったのは全て私のせい。
そして、柚菜が事故にあったのも、こうやって離婚問題までに
発展し揉めてる火種を作ったのも弱い私が原因です。
謝って済む問題では無いけれど、私には
今は謝ることしか出来ないから謝らせて下さい。」
「謝って貰わなくても良いから・・・それにこれはお姉ちゃんには関係ない。
私達夫婦の問題だから」
凛とした口調で云う柚菜に香菜は怯んで何も言葉が紡げないでいた。
多分、香菜は柚菜の言葉から拒絶の意味を汲んだのだろう。
関わりは薄くなっていたけれど香菜は妹が大好きだった。
大好きゆえに自分の秘密を口に出来なくて結果、色々な隠し事を増やしてしまい
不本意ながら距離が拡がってしまった。
だから柚菜が口にした”関係ない”その言葉は香菜に絶望を与えてしまうだろう
今にも崩れ落ちそうな位に真っ青になっている。
でも、柚菜から離れて香菜を心配する気持ちは湧かなかった。
最初からこうすれば良かったんだ。


