そんなスキンシップは日常的に行われていたのか、一那は何事も
無かったように前を向いて階表示を見ている。
”ポン”軽快な音と共に扉が開く。
やっぱり最上階・・・
そして扉の数が想像以上に少ない・・一体どの位広いの???
「キーを携帯していると手を翳すだけで開くから」
「え! 凄い! ハイテク!」
「ククク・・本当に期待を裏切らないわ~~」
「もしかして・・・」
「そ、同じ反応・・・」
「お恥ずかしいです・・・」
「柚菜のキー、事故で破損しちゃったから、新しいのを作ったから
後で渡す。」
そっか、今まで忘れていたけどスマホもかな??
そんな事を考えながら一那の後ろについて玄関に入ると自動で灯りが点き、
マンションとは思えない位の広くて開放的な玄関だった。
玄関からこんなに広いなら部屋も推して知るべしだわ。
玄関を開けた時に鼻孔をくすぐる香りも不快な感じはしないけれど、
安心感や馴染みがあるとも言い難かった。
香りで記憶を呼び戻す事もあると母が口にしていたので少し期待していたが
現実はドラマのようにはいかない。
その事に少しイヤ、かなりガッカリしたのは心の奥に隠した。
私の言動が一那を不安にさせたりしてしまう事があるのを
一緒に過ごす様になって何となく解る 不安な気持ちはお互い様。
リビングに入ると拡がる景色に息を呑むがその仕草が多分、前にもしたのだろう
肩がフルフルと震えているのが解り、その肩をパンパンと2回叩いてしまう。
その瞬間、自分の行動にハッとするが、一那は気にもしていない。
きっと、私の知らない過去では日常だったのかもしれない。
そんな事が少し嬉しくて凄く切なかった。
「柚菜、久しぶりの家風呂だからユックリ入りな。」
ソファーで気がついたらうたた寝をしていたらしく、
少し、空の色が鮮やかな青からグレイが掛かる青に変わっていた。
「うん、有難う」少し寝ぼけ眼でユックリと立ち上がり、
バスルームに行く前に寝室に向かい、下着とルームウェアーを取り出し、
バスルームに向かった。
心配なのか一那の気配が背中に感じ、ボーとしながらも
「流石に此処から先はダメだよ」と言ってドアを閉めた。
大好きな香りの入浴剤に身を任せ、ハッとする。
私、寝室の場所も、何もかも一那に聞かないで此処迄
1人で無意識に来てしまった。
あの時、後ろに居た一那の顔を見なかったけれど、もしかして
吃驚して後ろに居たのかもしれない・・・・
間違いなくそうだ。
1人、湯船に浸かりながら自分のさっきの行動を思い返すと、寝起きだから
何も考えないで行動したからの結果のような気がする。
そうじゃなければ慎重な性格の私はきっと、寝室の場所とか確認しただろう。
結果的には良かったと思う反面、自分が紛れもなくここで暮らしていた
現実に恐怖を覚えたのも確かだ。
多分、一那も気がついてる
お風呂から出たら聞かれるであろう事に
胃がキュッとなるのは自分でもその行動が説明できないから。
もし、記憶が戻ったと勘違いされ、ぬか喜びをさせたら、
それとも戻らない方が良いのか・・・自分自身が一番良く解っていない。
グダグダとお風呂から出られなかったのは一那に期待させてしまった
申し訳なさからか、臆病者の私の気持ちか、
これ以上お風呂場を占拠すると違う心配をさせてしまいそうなので
半分諦めの気持ちでリビングに戻るとPCを開いて仕事をしている横顔・・・
綺麗だな~と見惚れてしまう。
こんな日常を幼い私は夢見て、儚く散った筈なのにどうして今、その夢を
目の当たりにする事が出来ているのだそう?
『愛しあって結婚した』と聞いたけれど、大学生の時に何が起きたのだろう?
接点がある生き方をトコトン避けて来た人生。
何処で私達は交差したのだろう?
多分、姉の事をクリアする事が出来たら解決するのは解っているのに
怖くて聞けないのはどうしてなのだろう?
姉の事を考えると頭痛が激しくなるのも聞けない事の一因かもしれない・・・
嘘 それは自分への言い訳か・・・・
母の話だと何年も前に実家を出ているし、一緒に暮らしていた時もすれ違いの
生活をしていたと言っていた。なのにどうしてこんなに息苦しいのだろう?
母との会話で悟ったのは姉の事は我が家にとっては踏み絵みたいな話題だと
言う事。
母が病室で話してくれたのはイレギュラーの様で、その後は上手くかわされた。
その証拠に姉が私の病室を訪れる事も無かった。
そこまでショックを受けない自分が何よりもおぞましい
あんな昔の事で私はここ迄姉を疎ましいと思っている自分。
あの事故は私から記憶を奪い、どす黒い感情を再び与えた。
「柚菜、出たの?」
私の視線に気がついた一那がユックリとPCを閉じた。
「うん。久しぶりに手足を伸ばして湯船に浸かっちゃった。」
「髪の毛、濡れてる・・・こっちに座って」
そう言いながら自分の足元を指し、一那は立ち上がる。
戻って来た手にはドライヤーが握られていた。
「えっと・・・・」
「乾かしてあげる」
「いいよ! 自分で出来るよ。」
「これは忘れちゃってるか・・・俺が居る時は柚菜の髪の毛を
乾かすのは俺の役目だったんだ。」
「そうなの?」
暫く、ドライヤーの音で会話は出来なかったが、一那の指先は
手慣れたように髪の毛を弄びながら乾かす。
その指先を感じながらこんな日常が繰り広げられていたなんて、
どれだけ甘やかされているのか私。と心臓がドキドキ波打つ。
その指先はまるで肌に触れている様な感覚を起こさせ、
もっと、もっと、と心の奥で私の声がするのを押し殺したくなかった。
「さっき、すんなり寝室に行ってバスルームに行ったね。」
ドライヤーのコンセントを纏めながら今、思い出したかのように
自然に口にする。
やっぱり・・・
「うん。寝ぼけていたからかな?無意識に身体が動いていたみたい。
でも、自分が選んだ下着に見覚えが無いんだ・・・可笑しいよね。」
自嘲気味に自分の唇の端が歪んでいるのは解っている。
でも、それ位自分の事を理解出来ていない不安感。
その歪んだ唇を一那の長くて男性としては綺麗な指先で触れられると
不思議と歪みが治るような感覚になる。
「さっきの車もそうだけれど柚菜の身体が俺との日常を覚えていてくれて
居た事が嬉しいんだ。」
そう言って私の唇の端に軽く唇を当て、キスとも言えないくらい軽い
キスをおとした。
「いや???」
全然いやじゃない。寧ろ嬉しいと思う私は一体・・・
それを口にするのは憚れたので首を横にフルフルと振ると
一那は破顔し私の頬、オデコ、にチュッチュと唇を落とし
気がつけが彼の膝の上で横抱きにされ、身体の力がグッタリと抜けていた。
「退院したばかりなのにゴメン」
グッタリとしている私に急に理性が戻ったような一那は慌てながら
少し身体を離した。それが少し寂しい、もっと、もっとその腕の中で
私の理性を吹き飛ばして欲しかった。
一那の奥さんだった私は口に出来たのかな?
そのキスに応える術を知っていたの?
一那は昔の私が好きなの?今の私は?
過去の自分と現在の私 どちらも私なのに私は過去の自分にも
嫉妬している。


