あー、別の人選べば良かった。

彩響の頭の中にはもうこの言葉しかなかった。イライラする気持ちを温かいお茶で抑えてみるが、やはり腹の立つものは仕方ない。彩響はあえて丁寧な喋り方で返事を返した。


「河原塚さん、もう勝手にしてください。私は仕事で忙しいし、あなたのルールなんか知ったことじゃない。だからこの話はここまでにしましょう」

「今絶対『あー別のやつにしておけば良かった』、とか思ってるんだろう?騙されたつもりで、一回だけ俺と掃除しようぜ。きっとすごいことが起こるよ」

「なにが起こるって言うんですか?ただ家がちょっと綺麗になるだけでしょう?」

「違う、絶対なにかが大きく変わる。そう、きっとすごい未来が待っているってば」


大きく変わる?すごい未来が待っている?河原塚さんの話はますます訳が分からない方向へ進んでいく。彩響は結局その場でぱっと立ち上がり、叫んでしまった。


「いい加減にしてください!私は雇用主で、あなたは言われるまま仕事をすればいいだけの話でしょう?私にあれこれ命令しないで!いつだって私は死ぬほど忙しいんだから!」

「命令なんかしてないよ、俺はただ…」

「ストップ。それ以上なにも言わないで。私はこれから出勤ですので、私が帰るまでこの辺片付けてください。今日食事は要りません」


それだけ言って、彩響はカバンを持って玄関を出てしまった。駅に向かう途中、罪のない自販機を一回蹴っても、このイライラはやはり消えようがなかった。

「なんなの、あの態度!マジ腹立つ!誰に向かって口聞いているの?!」

文句を言いながら駅に向かう。だめだ、まだ処理しなきゃいけない案件が山程ある。心を落ち着かせて、彩響は駅までの道を急いだ。




「主任、お疲れ様ですー」

「ああ、佐藤くん、もうお帰り?」

「はい、一眠りしてまた出勤します」

「わかった、じゃまた後で」

部下の佐藤くんが帰るのを見て、やっと時計を見ることができた。もう時刻は朝の8時。彩響は世界一重いまぶたが閉じてくるのに必死で抵抗しながら、コーヒーメーカーのボタンを押した。

(また地獄の徹夜週間か…)


コーヒーをガブガブと飲みながら長いあくびをする。業務が多すぎて一瞬忘れていたが、家に帰る時がやってくると、あの生意気な家政夫さんことが思い浮かぶ。すると今まで普通に飲んでいたコーヒーの味が突然まずくなった気がした。

(お金払ってこんな気持になるなんて、やっぱりなんかおかしい)

会社の正門を通り、しばらく駅の方をじっと見ていた彩響は結局反対方向へ動き始めた。彼女が向かう場所は家ではなかった。

そう、その場所は…。