走った。つばきを押し退けて玄関を飛び出して、無我夢中で走った。

昨日、カンナと待ち合わせした神社も、何度も何度も一緒に歩いた畑の道、小さい頃からいつも三人でアイスを買った店、川に架かる橋、一個目の坂を駆けおりて、二個目の坂を登る手前。

カンナの家の前。震える指でインターホンを押す。…押そうとした。けれど、そのインターホンを押してしまうことが、たまらなく怖かった。

このインターホンを押しても、カンナはもう俺を出迎えてはくれない。頭は理解してしまうことを拒否しているのに、母さんの嗚咽や父さんの光を失った目、無表情で立ちすくむつばき。それらがフラッシュバックして、俺に現実を突きつけようとしてくる。

インターホンのボタンに人差し指を付けたまま、押すことが出来なかった。

「こっち。」

「つばき。」

声がして、右隣を見ると、少し息を切らしたつばきが居る。

こっち、とさっき俺が駆け降りたばかりの坂の方を指している。坂なんかじゃない。たぶん、海だ。

心臓がドクン、と波打った。
つばきは確実に何かを知っている。まだ母さんも父さんも知らない何かを。

知っているのならお願いだ。
嘘だって言ってくれ。全部、自分が俺を困らせようとして大人まで巻き込んだお芝居だって。
全部許すよ。怒ったりしない。なーんだ、そうだったのかって笑い飛ばして、このことだっていつか笑い話に変えて…。

つばき。

そんな目で俺を見ないでくれ…。

スッと、インターホンから指を離して、人形の様に下ろしたその腕をつばきが掴んで歩き出した。
引っ張られる様にしてついて行く。情けないなって思った。自分よりも小さい女の子に引っ張られて。俺は項垂れることしか出来なくて。
つばきは何で、こんなに毅然としていられるんだろう。