「おはよう、麻田」
「お……はよう、ございます、城阪社長……」
 パーティーがあった次の週、月曜日。
 死んでしまいそうなほどに緊張しながら出社した私は、社長室のドアを開けたところで、つい立ち止まってしまった。それはひとえに、既に社長室にいた城阪社長が、まるで『あの夜』のことなんてなかったかのように、いつも通りの顔をしていたからで。
 あの夜、――――私はあのまま、彼に抱かれてしまった。執拗なキスと、愛されていると錯覚するような手つきに絆されて、ちっとも抵抗できなくなってしまったのだ。全身くまなく可愛がられ、身体の端から溶け落ちていくような感覚を一晩中教え込まれて、気付いたときには夜が明けていた。
 あまりの事態に一瞬で意識を覚醒させた私は、隣で深く眠りにつく城阪社長を起こさないように部屋と自分の身形を整え、ホテルを後にした。そのときは良かったも悪かったもなく、ただ途方もないほどの動揺と緊張だけがあって、頭を抱えたのは自宅についてからだ。
 私は、なんてことをしてしまったんだろう、――――そう思う一方で後悔しきれないのは、あの夜が私にとって甘美な幻のように幸せなものだったせいだ。一生触れられないと思っていた人に触れて、キスをしてもらって、泣きたくなるぐらいに愛してもらえて。『どうせ叶わない』と端から諦めている私にとっては、いっそ毒のようにすら感じられる幸福だった。
 それに、行為自体も初めてなのにおかしくなるぐらい気持ちがよくて、悪かったなんて口が裂けても言えない。
 もしかしたら土日の間に彼から何か言われるんじゃないかと身構えていたものの、そんなこともなく。今日はあの日以降初めての出社で、戦々恐々としていたのだけれど、――――
「……」
「……城阪社長、どうかされましたか?」
「いや、どうかしたのは君のほうだろう。俺が挨拶しただけでそんなに驚いた顔をしないでくれ」
 この感じだと、もしかして覚えてないのかも。
 苦笑交じりに言う城阪社長を見て、私の頭にそんな考えが過る。ついつい胸を撫で下ろしてしまったのは、もし覚えていないのなら城阪社長と私の関係はこれまで通り、ただの社長と秘書のまま変わらないだろうと思ったからだ。
 私が一番恐れているのは、この恋心が露見して、彼を支えられる立場を手放すこと。それが脅かされないのであれば、流されて貞操を失ったことも、その相手が叶わない恋の相手であることも、『最悪』には成り得ない。
 ――――だから、良かった。彼が忘れてくれていて。