柊がゆっくりと話し始める。

「覚えていないのは無理はない。だって、何度か話しかけたことはあるがお前の視線に入れたことなどなかったから」
「…視線に?」
「そうだ。今、琴葉の視線にようやく入れた」
そういうと、伸びてきた手が琴葉の頬を撫で、髪を撫でる。パラパラと柊の指の間から落ちていく髪の毛を見ながらすっと口角を上げるとつづけた。
「図書室で勉強している琴葉に声をかけたこともある。覚えてないだろ?」
「…すみません」

申し訳ないという気持ちでいっぱいになるが、どうしても思い出せない。つまり、学生時代の琴葉にとって柊の存在はやはり“知らない人”なのだろう。
「どうして…話しかけてくれたんですか」
「最初はただ今どき珍しい女の子がいると聞いてみていただけだった」

珍しいという言葉に琴葉は苦笑していた。

確かに柊が言うように珍しい存在だったのかもしれない。あの頃を思い出すと他の学生たちから話題にされてもおかしくはない。

「何となく見ていただけだった。最初は」
「…はい」
「でも誰色にも染まらない真っ直ぐな視線の中にいつの間にか入りたくなっていた。何度か話しかけたりわざと琴葉の目の前で専門書を開いて勉強したりしたけど、一向にお前は俺を見ようとはしなかった」
「…」

それはそうかもしれない。
あの頃は誰とも接しようとしなかったし、大学デビューにも興味がなかった。それをしようと思ったのは、初めて付き合った春樹の影響が大きい。ただ、その彼は琴葉に何の感情もなく好きなのは自分だけだった。