最初は遠慮がちに肩を抱き寄せられ、私の体がびくりとこわばった。


黒猫とは違う香り―――


浩一とも違う香り。




タバコと……ほんの少しの香水…そして香ばしい樽の香りは……ウィスキーだろうか。



お父様はまるで壊れ物を扱うような丁寧で慎重な手つきに


どこか安心できた。


黙ってお父様に身を任せていると、遠慮がちだった手が私の背中に回りさらにぎゅっと強く抱きしめられる。


お父様の体は黒猫のそれよりも少しだけ華奢で背中が少しだけ骨ばっていた。


サエさんは―――


この腕に抱きしめられてきっと幸せだったと思う。


この腕に全てを委ね、お父様の隣で安心できたと思う。




「朝都ちゃん、ありがとう。


君のおかげで今度こそ―――後ろを振り向かず前を歩ける」




お父様は私の耳元で囁き


私も


「いいえ、こちらこそ」


気の利いた言葉を返せずおざなりな言葉を返したけれど、今必要なのは言葉じゃないと


そう感じた。



「君がライラックの香りを運んできてくれて、想い出を運んできてくれた。


君が迷子になっていた僕を助け出し、導いてくれた。



ありがとう。




だから僕も君を苦しみから解放するよ。





新しい家庭教師を見つける。君は退職扱いにするから




君も新しい人生を歩んで。




僕ができる手助けと言ったらこんなことしかできないけれど



君の未来にどうか光を―――」




ザザっ


風が大きく公園の木を揺らし、街灯の光の中、黄金色に色づいた銀杏の葉が舞った。


キラキラ…


お父様の背後でそれは輝いて見えたけれど、でも私は涙で滲んで見えなかった。



大好きな人の面影を浮かべたその人を必死に抱きしめながら


私はまたも泣いていた。






今度こそ




さよならだね。






倭人―――