二十三、



   ○○○



 何百年の記憶があっても、何回死んだとしても、あの日の恐怖を忘れた事などなかった。
 それぐらいに、紅月はその時の恐ろしさを今でも鮮明に覚えていた。

 不安定に揺れる駕籠。どこかに売られていく豚や鶏はこんな不安を感じながら、死への道を運ばれていくのだろうか。七五三鈴が近くで鳴っているせいで、雨の音は弱く感じられる。雨は嫌いだけれど、鈴の音よりはましだ。この鈴の音から逃げ出したかったけれど、紅月はその時、体を動かす事が出来なかった。
 白無垢の花嫁姿になってはいたが、手首と足首には分厚い縄が占められており、拘束されていたのだ。騒がぬよう、舌を噛んで自害しないようにと、口には白い布を入れられていた。







 紅月が初めて左京と会った頃。
 紅月は優しくて頼りがいのある左京にすぐに心惹かれた。銀髪を見た時でさえ、「綺麗」という感情が一番に出て来て、「怖い」とは全く思わなかった。ますます好きになったぐらいだ。
 彼から借りた布は、彼の家の匂いがした。森の木の香りだ。今思えば、沈香に似ているなと思う。この布は大切にしよう。洗濯をして返すつもりだったが、これはこっそり自分が貰って、新しい布を返そうかな。そんな風に思って、頬を緩ませた。
 けれど、雨水で濡れた体が冷え、ぶるりと震えた瞬間。一気に現実へと引き戻された。


 自分は人身御供で死ぬのだ。蛇神様に体を捧げ、無様に死ぬのだ。自分は死んだ後、村の人が晴れた天を見て微笑むのだろうか。それの何が幸せなのか。妹が人身御供となり、死んだ時の晴れ間を見ても、紅月はちっとも幸せな気持ちになどなれなかった。
 じゃあ、彼は自分が死んで晴天を見たら、笑ってくれるのだろうか。
 少しは悲しんでくれるのだろうか。



 「………死にたくないな」


 紅月は、分厚い雲を見上げ、落ちてくる雨を顔で受けながら、小さく呟く。
 その音は、すぐに雨音でかき消された。そんな願いは誰も聞き入れてくれないよ、と天が言っているようだった。