固唾を呑んで顔を覗き込んでいると、彼女は

僕を見上げ、にっこりと笑った。



-----笑った。



ガサゴソと鞄の中から携帯を取り出し、メモを

見ながら親指を動かす。

そして、目の前で送信ボタンを押す。

ブルブルと、僕の懐で携帯が震えた。

急いで懐から携帯を取り出し、開いてみる。

1件のメールが届いている。内容は、

(嬉しいです。夜にまた、メールしますね)

という、ひと言。

信じられない思いでその一文を読み、信じられ

ない思いのまま、僕は破顔した。そうして、

彼女に返事を打つ。嬉しすぎて、親指がうまく

動かなかった。

(ありがとう。楽しみに待ってます)

返した返事はありきたりのものだったが、

僕の胸中にはたくさんの言葉が溢れていた。

けれど、いつまでも喜びに浸っているわけ

にはいかなかった。

残念ながら、いまは勤務中なのだ。

早く席に戻らないと……

(じゃあ、また後で)

僕らの横を通り過ぎた利用者さんたちの視線

を気にしながら手を振ると、彼女もひらひら

と手を振り返して、戻ってゆく僕を見送った。

席に戻ってからもずっと、胸の中の携帯が

着信を告げて震えているような気がして、

僕は何度も懐の携帯を確認したのだった。





仕事を終えると、家路につく足取りは、

いつになく軽かった。

電車に乗り、最寄り駅を降りると、自宅アパート

までは歩いて約10分だ。

夜目が効かない仕事帰りは、ゆっくり歩くから

15分程度かかる。アパートまでの道筋には、

コンビニとお弁当屋さんがある。今日はお弁当

屋さんに立ち寄り、50円引きシールが貼られた

日替わり弁当を買った。

隣に置いてあったポークカレーも気になったが、

何となく、今日は栄養面を重視したい気分だった。

冷蔵庫に発泡酒が一本残っているのを思い出し

ながら、ビニール袋を片手に、歩き慣れた道を歩く。

いつもと同じ風景の中を歩いているのに、

なんだか街が違って見えるのは、気のせいでは

ないのだろう。首筋を吹き抜ける風はひやりと

していたけれど、僕はピンと背筋を伸ばして

いつもより少し大股で歩いた。





家に着き、ドアの鍵を開ける。

鉄筋コンクリート3階建てアパートの、1階が

僕の家だ。部屋の広さは猫の額ほどだが、窓を

開けると見える、向かいの家のハナミズキが

気に入っている。

家具は、ベッドと折り畳み式の木製テーブル、

そして、ローチェストが一つ。

その上には32インチのテレビが置かれていて、

テレビ横の壁には大きなホワイドボードが掛け

られている。高校時代からずっと、数学の計算を

したいときにこのホワイドボードを愛用している

のだけど、同じサイズの物をベッド側の壁にも

掛けようか……

悩んでいるうちに、数年が経過してしまった。