いっぱいに吸い込んだスポンジから、水が漏れ出すように、翌日は雨が降った。
眠ったという自覚もないまま眠り、目覚めると朝だった。
夢うつつに、雨音を聞く。
「……あめ」
目を閉じていても、けぶる湿気に混ざって、寺島先生の匂いがする。
「雨ですね」
先生はもう目覚めていたらしい。
意識のはっきりした声だった。
同時にふっと雨音が聞こえなくなる。
「あ、やんだ」
「またすぐ降りますよ。夜中からずっとそんな感じだから」
ふぅん、と先生の肩にもたれたら、迷惑そうにため息をつかれた。
「『夜中からずっと』って、先生寝てないんですか?」
「寝られると思いますか? これで?」
「我慢なんてしなければよかったのに」
「順番って大事でしょ」
「じゅんばん?」
「三回くらい食事して、映画とか買い物にも行って、それから『家に来ますか?』って」
「真面目だなぁ」
ガラス瓶色の瞳を見つめたら、じろりと睨まれた。
「すぐに寝ちゃったくせに」
「だってあったかかったんだもん」
乱れた先生の髪に、私はやわやわと指を絡ませる。
「眠い。仕事休みたい」
「じゃあ、一緒にお休みします?」
私は来月から別の歯科医院で働くけれど、今日からひと月お休みだ。
「休んじゃえ、休んじゃえ。それで今日はずっとこうしていましょう」
「遠慮なく誘惑しますね」
「だって先生、この程度で誘惑されたりしないでしょう?」
たっぷり五秒、先生は私の目を見つめて、それから諦めた。
「仕事行く」
「はい」
「でも帰ってくる」
「はい」
「一緒に食事に行きましょう」
「はい」
「それで紀藤さんに、いっぱい聞きたいことある」
「私の誕生日は十月二十日です」
「知ってる」
枕に頭を乗せて、ふふふ、と笑った。
「先生には、何でもお答えします」
心底意外そうに、茶色の目が見開かれた。
「いいの?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
その質問を、先生はガラス板の上を歩くみたいに怖々口にした。
「…………前の彼氏って、イケメンだった?」
「はい。とても。切れ長のくっきり二重で、鼻筋が通ってました。顔もちっちゃかったし」
間髪入れずに答えたら、先生は、最悪だ、と頭を抱えた。
「聞かなきゃよかった」
「あ、先生って、一重かと思ってたけど、よく見たら奥二重」
「一重でしょ」
そんなことどうでもいいよ、と両手で顔を覆ってしまう。
「奥二重ですよ。角度によって二重になるから。ねえ、もう一回見せて」
純也の部屋の天井を、はっきり覚えていなくて当然だ。
いつだって私は、こんな風に愛するひとばかり見ていた。
「紀藤さんの白目って、少し青いよね」
私にまぶたをいじられながら、先生は言う。
「そうですか?」
「うん。初めて会ったときから、そう思ってた」
そういえば、初めて先生がやってきた日も雨だった。
足元を濡らした新入り歯科医を、唐突に思い出す。
気づけばまた雨が降っていた。



