これかわいい、と先生が笑った。
鯉を描いた掛軸の前だった。
鯉はぷっくりと愛嬌のある身体をくねらせて、つぶらな瞳をくりんと輝かせている。
かんたんなイラストのように見えて、鱗一枚一枚に気が遠くなるような細かい濃淡がつけられている。
私ならパレットごとひっくり返して、「あーーー!!!」と叫んでしまうと思う。

「俺たちは、いきなり三人の子がいる家を見たからびっくりするけど、新川さんだって少しずつ今の形になったんです」

赤ちゃん用の布団が増え、立てばテーブルの角にクッション材を貼り、誕生日やクリスマスごとにおもちゃが増える。

「物が増えるのは、思い出が増えることと同じですから」

七年という月日を経てなお、物が増えなかった部屋を思い出しかけた時、先生の声がそれをかき消した。

「紀藤さんだって、俺に慣れたでしょ?」

返事なんかしてやらない、と見つめ返すのは、肯定と同じだった。
先生の目が細められるのも、それを理解した証。

小さい頃、家のすぐ裏にどこかの会社の社宅があって、そこの庭に忍び込んで遊んだ。
そこにはとりどりのガラス片やうちの庭にはない花(それは花ではなく、草に分類されるものだったらしい)があって、弟と宝さがしに夢中になった。
あの時拾った茶色のガラス片は、おそらくビール瓶や栄養ドリンクの瓶や何かの薬瓶だったのだろう。

先生の目は、あのガラス片の色に似ている。
ビール、栄養ドリンク、薬瓶。
そのどれもが寺島先生にはよく似合う。

そういえば、あんなにたくさん集めて、クッキーの缶にしまっておいたあの宝石たちは、どうしたんだっけ。