「新川さん、仕事復帰はいつなんですか?」

先生が見上げた姿勢で尋ねる。

「来年四月の予定です。保育園の準備もしないと」

子どもと生きることは、未来ばかり見て生きることなのだと思う。
入学式、卒業式、入学式、卒業式。
私もそうだった。
おおきくなったらプリンセスになりたい。
クリスマスには電子レンジのおもちゃがほしい。
遠足のお弁当には絶対イチゴを入れてね。

思い出の分量が増えるごとに、未来は少しずつ少しずつ薄まって、そこにはつまらない「予定」しか残らない。

「ああ、そうそう」

新川さんは、いくつか引き出しの中を探して、数枚のチケットを私の目の前に差し出した。

「これ、旦那が職場でもらってきたの。家族全員分って言われても、子どもは水墨画なんて興味ないでしょ?」

ばかじゃないの、という顔で新川さんは言った。

「まあ、ちょっと渋いですよね」

「職場で欲しい人いたらあげて」

チケットには、力強い筆致で描かれた虎と、繊細に彩色されたお釈迦様が載っていた。

「私、一枚いただいていいですか?」

「どうぞもらって。紀藤さん、水墨画好きなの?」

「知識は全然ないんですけど、嫌いじゃないです」

一枚だけもらって、残りを寺島先生に押しつける。

「ただいまー!!」

玄関からリビングまで、ドタドタと騒がしい足音がする。

「あー、帰ってきたー」

新川さんはガックリとうなだれて、それでも次の瞬間には微笑みを浮かべた。

「おかえりなさい。手洗ってきて」

青いキャップをかぶった男の子を先頭に、四人の小学生がなだれ込んできた。

「え! お友達?」

「うん。お客さん?」

「そうだけど……。あ、ちゃんとご挨拶して。あと手も洗って」

こんにちは、とボソボソ言った少年を、新川さんは洗面所に追いやる。
友達のひとりは隣合った和室でゲームを始め、ひとりはリビングのテレビをつけ、ひとりは勝手に冷蔵庫からアイスを取り出して食べ始める。
その騒がしさに、芹菜ちゃんの泣き声が重なる。

「ごめんねー。今度子どもいないとき、ゆっくり来て」

わずか三分の間に憔悴した新川さんに手を振って、私たちは車に乗り込んだ。
寺島先生の車は、煙草の匂いも、高級な革の匂いも、“マリン”とか“フレッシュ”とかわけのわからない芳香剤の匂いもしないところがいい。

「新川さん、仕事中より大変そうでしたね」

寺島先生は肩を震わせて笑う。
玄関までの動線に、帽子と水筒とランドセルとアイスの空袋とリュックが転がっていて、それをふたりで寄せたり捨てたりしながら部屋を出てきた。

車は住宅街を抜け、少しスピードが上がる。

「国道に出たところで降ろしてください」

何気なく聞こえるように、私は言った。

「送りますよ。県立美術館でしょ?」

私はむくれた顔で窓の外を見る。

「ついてくる気ですか?」

先生は笑って私の抗議を聞き流した。