新川家は、六世帯入るファミリー向けアパートの一階、西向きの部屋にある。
階段下のスペースには子ども用の自転車などがぎゅうぎゅうに並べられていて、水色の三輪車を避けて玄関ドアの前に立った。

『はい』

インターフォンから久しぶりの声が聞こえて、私は声を明るく整える。

「こんにちは。紀藤です」

「寺島です」

寺島先生は割り込むようにインターフォンに近づいた。
急に距離が近くなって、私は半歩左に逃げる。

「いらっしゃい、紀藤さん! 先生、わざわざすみません」

「こちらこそ、お忙しいのにすみません。お邪魔します」

新川さんが無事女の子を出産したのは、六月半ばのことだった。
新川さんは私より六つ年上で、主任の次に勤務歴の長いベテラン衛生士だ。
あの職場で唯一、仕事のこともプライベートのことも話せる人で、つらい時期の多くを支えてもらった。

ここは2LDKだそうで、通されたリビングは隣に六畳の和室が見える。
部屋の中は、ヨーグルトのような独特の酸っぱい匂いがした。

「ごめんなさい。今おむつ替えたばっかりだから、少し換気するね」

新川さんが窓を開けると、熱気を含んだ風が入った。
カーテンが揺れるすぐそばに、ベビーベッドがある。
想像より大きな赤ちゃんが、手足をバタバタ動かしていた。

「うわぁ、ちっちゃーい!」

寺島先生が顔をほころばせる。

「寺島先生って、やっぱり男なんですね」

このサイズを「小さい」と感じるのは、体内から出す想像をしない人間だと思う。

「俺、なんで怒られてるんですか?」

「感謝してますよ、先生」

「なんか怖いんだよな……」